髙松建設株式会社
創業105年間連続黒字。大阪屈指の優良企業として着実に成長してこられた髙松建設株式会社(以下髙松建設)。社員の幸せには成長が不可欠です。今回は、地元大阪の十三で創業され最強の営業会社とも言われる髙松建設の代表取締役社長、髙松孝年様にお話を伺い、その発展の歴史を紐解きます。
私たちネッツトヨタニューリー北大阪株式会社は1961年の創業以来、 「自分の子供を入れたくなる会社になる」「世代を超えて100年続く」という2つのゴールを掲げ、社員にとって幸せな職場になることを一貫して目指してまいりました。 このコーナーでは従業員を大切に経営されている企業トップにインタビューさせていただき、社員価値の高い企業づくりについて学びます。 真のお客様価値は幸せに働く社員によって生み出される、が私たちの信念です。記事を通して私たちの目指すゴールを多くの方に知って頂ければ幸いです。
ネッツトヨタニューリー北大阪株式会社
代表取締役社長 小西 敏仁
独自のアイデアでお客様との関係を築く
──本日はインタビューさせていただけるのは大変光栄です。髙松社長、本日はよろしくお願いします。営業力に定評のある御社にお伺いできることになり、ずっとワクワクしていました。まずは創業のストーリーからお教えいただけますか?
髙松:髙松建設は私の祖父が105年前に大阪、十三の地で創業しました。祖父は多岐にわたる仕事を様々なスタイルで請け負っていたようですが詳細な記録は残っていません。その祖父が50代で心臓発作がもとで急逝し、21歳、19歳という若い息子たちが急遽大学をやめて家業の跡を継ぐことになりました。
私は第二創業と呼んでいるのですが、髙松建設の土台は事実上その時期に形作られました。
祖父は若い息子たちと仕事こそ一緒にする機会を持ちませんでしたが、非常に男気のある男だったと言われています。創業の地、十三には大企業の工場や町工場がたくさんありました。そういうところをグルグル回って営繕工事をしたり、工場長さんの相談に乗ったりして、十三の旦那衆から慕われる存在だったようです。アイデアマンだった彼は技術的なことは勿論、損得を超えて色々な提案をしていたそうで十三の旦那さんたちに愛されたようです。
二人の息子たちは事業の継承を通じて2つ引き継いだことがありました。事業の基盤となるいくらかの土地と、仕事のスタイルです。二人はお客様の工場や店舗を回る過程で祖父の仕事のスタイルを体で学んだのだと思います。十三の旦那衆へ日参して足で関係を築いてきたこと、損得を超えた独自のアイデアで信頼を勝ち取ってきたこと。何十年も先に、髙松建設は「提案力」と「技術力」を武器に地主さんへのソリューション営業で独自の強みを築いていくことになりますが、その原型は祖父の代から髙松建設のDNAに深く刻まれていると私は考えています。
例えば、かつて住宅金融公庫(現在の住宅金融支援機構)というのがありました。
住宅金融公庫の融資は金利の補助が受けられるので施主にとって有利ですし、入居者にとっても特優賃という安価に賃貸できる仕組みがあって嬉しい仕組みです。ただ如何せん手続きが煩雑でした。髙松建設はそういった手続きの代行を前提とした提案にいち早く取り組み大きく成長しました。
このように、髙松建設は昔から少し他とは違うアイデアをいち早く仕事に生かす企業でした。
私は第二創業と呼んでいるのですが、髙松建設の土台は事実上その時期に形作られました。
祖父は若い息子たちと仕事こそ一緒にする機会を持ちませんでしたが、非常に男気のある男だったと言われています。創業の地、十三には大企業の工場や町工場がたくさんありました。そういうところをグルグル回って営繕工事をしたり、工場長さんの相談に乗ったりして、十三の旦那衆から慕われる存在だったようです。アイデアマンだった彼は技術的なことは勿論、損得を超えて色々な提案をしていたそうで十三の旦那さんたちに愛されたようです。
二人の息子たちは事業の継承を通じて2つ引き継いだことがありました。事業の基盤となるいくらかの土地と、仕事のスタイルです。二人はお客様の工場や店舗を回る過程で祖父の仕事のスタイルを体で学んだのだと思います。十三の旦那衆へ日参して足で関係を築いてきたこと、損得を超えた独自のアイデアで信頼を勝ち取ってきたこと。何十年も先に、髙松建設は「提案力」と「技術力」を武器に地主さんへのソリューション営業で独自の強みを築いていくことになりますが、その原型は祖父の代から髙松建設のDNAに深く刻まれていると私は考えています。
例えば、かつて住宅金融公庫(現在の住宅金融支援機構)というのがありました。
住宅金融公庫の融資は金利の補助が受けられるので施主にとって有利ですし、入居者にとっても特優賃という安価に賃貸できる仕組みがあって嬉しい仕組みです。ただ如何せん手続きが煩雑でした。髙松建設はそういった手続きの代行を前提とした提案にいち早く取り組み大きく成長しました。
このように、髙松建設は昔から少し他とは違うアイデアをいち早く仕事に生かす企業でした。
「失敗を恐れない」企業体質
──創業以来、独自のアイデアでお客様との深い関係を築くということが企業のDNAなのですね。アイデアをいち早く仕事に生かすとは、言うは易し、行うは難しだと思います。成功するかどうかわからない、やったことがないことを社員が本気で取り組めるのはどのような風土があるからなのでしょう?
髙松:髙松建設は現在1700人を超える人材が働いていますが、まだまだ粗削りな組織だと思います。
ですから第二創業期以来、私たちがずっと大事にしている事は失敗を恐れない、ということです。髙松建設には幻のプロジェクトみたいなものが山ほどあるのです。先ほどお伝えした住宅金融公庫の融資提案等、成功した取り組みの裏には山のような失敗の数々があります。
そういう失敗をたくさん積み重ねられるところに私たちの強みがある。105年分のボツ企画が髙松建設の強みの本質です。
そして、現れては消えていく沢山のアイデアの中でほんの一握り、成功した取り組みが出ればあとは見よう見まねで取り組みを広げていきます。
ここで特に大切なのが反復です。初めは見よう見まねでやっているけれども、これがうまくいくとなると、それを愚直に繰り返す。繰り返すから非常に効率も上がるし、たくさんの情報がノウハウとして蓄積されます。
例えば先ほどお伝えした住宅金融公庫の融資は多くのライバル会社が取り組みましたが、賃貸住宅での利用率は髙松建設がトップクラスでした。
ですから第二創業期以来、私たちがずっと大事にしている事は失敗を恐れない、ということです。髙松建設には幻のプロジェクトみたいなものが山ほどあるのです。先ほどお伝えした住宅金融公庫の融資提案等、成功した取り組みの裏には山のような失敗の数々があります。
そういう失敗をたくさん積み重ねられるところに私たちの強みがある。105年分のボツ企画が髙松建設の強みの本質です。
そして、現れては消えていく沢山のアイデアの中でほんの一握り、成功した取り組みが出ればあとは見よう見まねで取り組みを広げていきます。
ここで特に大切なのが反復です。初めは見よう見まねでやっているけれども、これがうまくいくとなると、それを愚直に繰り返す。繰り返すから非常に効率も上がるし、たくさんの情報がノウハウとして蓄積されます。
例えば先ほどお伝えした住宅金融公庫の融資は多くのライバル会社が取り組みましたが、賃貸住宅での利用率は髙松建設がトップクラスでした。
──105年の歴史の中で、ボツになったことがたくさんあるからこそ、今、成功しているのですね。
髙松:全打席でヒットは打てません。だからこそ打席に立つことが大事なのだと思います。
打席に立って、ヒットが出ればその打ち方を繰り返し練習する。そうやって私たちは強みを築いてきました。
打席に立って、ヒットが出ればその打ち方を繰り返し練習する。そうやって私たちは強みを築いてきました。
若手の成功体験が変化のエンジン
──同じく営業会社を経営している中で強く感じるのは、一度成功してしまうとどうしてもその方法に囚われるということです。今までの成功体験をトレースするほうが楽だし、安全に結果を出せます。そういう環境の中で、新しい失敗をたくさん生んでいく文化はどのように育ってきたのでしょうか。
髙松:大事にしているのは3、4年目ぐらいの若手の成功体験です。
私はこの業界に30年弱いますが、やはり30年分の営業経験が今生かせるかというとそうではありません。例えば25年前、ファックスをお客様に送ったら「ファックスなんか10年早い」と上司に怒られて、「手で渡してこんかい」って言われるのが常でした。確かにその方がお客様に意図が伝わった時代はありましたが今はそんな経験は役に立たない。
だから若手のアイデアや成功体験というのは髙松建設にとって非常に重要です。実際に営業での成功事例を披露してもらって、教えあい、お互いに鼓舞し合う。そういうことで新しい失敗がたくさん生まれる企業風土ができてきたのだと思います。
私はこの業界に30年弱いますが、やはり30年分の営業経験が今生かせるかというとそうではありません。例えば25年前、ファックスをお客様に送ったら「ファックスなんか10年早い」と上司に怒られて、「手で渡してこんかい」って言われるのが常でした。確かにその方がお客様に意図が伝わった時代はありましたが今はそんな経験は役に立たない。
だから若手のアイデアや成功体験というのは髙松建設にとって非常に重要です。実際に営業での成功事例を披露してもらって、教えあい、お互いに鼓舞し合う。そういうことで新しい失敗がたくさん生まれる企業風土ができてきたのだと思います。
──百戦錬磨のベテランが沢山いらっしゃる中で、若手のアイデアやノウハウを大切にされているのですね。
髙松:お客様への提案は、常に新しくしていかないと役に立ちません。当社にも営業トーク集みたいなものもあるのですが、実際読んでみると古びていて使えないんですよ。私も小西さんもそうですが、バブル以降の人間じゃないですか。先代のように一直線に伸びてきた時代ではないので、感覚的に変化しないと生き残れないことが分かっていますよね。
加えて最近の変化のスピードはあまりにも早い。金融の世界を見ていても昔なら10年周期ぐらいで起こった変化が、当たり前に2、3年で起こっています。そういう変化のスピードに対する感覚は若い人には敵いません。だからこそ洗練されているけど手垢のついた営業トーク集よりも、若手のアイデアやチャレンジを大切にすることが重要だと思います。
加えて最近の変化のスピードはあまりにも早い。金融の世界を見ていても昔なら10年周期ぐらいで起こった変化が、当たり前に2、3年で起こっています。そういう変化のスピードに対する感覚は若い人には敵いません。だからこそ洗練されているけど手垢のついた営業トーク集よりも、若手のアイデアやチャレンジを大切にすることが重要だと思います。
提案力と技術力がアイデンティティー
──会社が変化していくには会社の根幹、中心点はどこにあるのか、という観点も非常に重要だと思います。御社の根っこにある、変えてはいけない価値感とはどのようなものなのでしょう?
髙松:企業理念の中に、自分たちはC&Cカンパニーであるという、言葉があります。コンサルタント&コンストラクトという意味なのですが、「提案力」と「技術力」を重視する会社だということです。
40~50年前のゼネコンは図面を渡されて、それをいかに安く作るかというのが価値でした。しかし私たちのDNAには地主さんに対して、付加価値の高い提案をするということが深く刻まれています。だから私たちにとっての仕事とは、図面を渡されて初めてスタートするものではなく、土地に何を作るかというところから始まるのです。
40~50年前のゼネコンは図面を渡されて、それをいかに安く作るかというのが価値でした。しかし私たちのDNAには地主さんに対して、付加価値の高い提案をするということが深く刻まれています。だから私たちにとっての仕事とは、図面を渡されて初めてスタートするものではなく、土地に何を作るかというところから始まるのです。
──お客様の課題から仕事がスタートする、いわゆるソリューション営業ですね。
髙松:はい、その通りです。でも当時はそんな言葉はありません。我々は施主様への提案から物件完成まで一貫して請け負うことを大切にしてきました。40年、50年前に顧客の課題に寄り添って提案営業をしていたゼネコンは、ほぼありませんでした。ゼネコンなので、技術力があるのは当たり前、提案力が私たちの看板です。私たちはゼネコン業界でのソリューション営業の草分けだと自負しています。
当時は賃貸マンション等が多かったのですが、最近は全体の5割弱になりました。今では病院、学校、オフィスビルと任せていただける対象が広がってきましたが、大切にしている事は変わりません。
私も営業に行かしていただいたときには、「うちは安さが売りの会社じゃありません。もしコストだけが大切だとお考えならば、うちには出番がないかもしれません。ただし、必ずお役に立ちます。痒いところに手が届くのがわれわれの売りです。」とお客様にお伝えします。
当時は賃貸マンション等が多かったのですが、最近は全体の5割弱になりました。今では病院、学校、オフィスビルと任せていただける対象が広がってきましたが、大切にしている事は変わりません。
私も営業に行かしていただいたときには、「うちは安さが売りの会社じゃありません。もしコストだけが大切だとお考えならば、うちには出番がないかもしれません。ただし、必ずお役に立ちます。痒いところに手が届くのがわれわれの売りです。」とお客様にお伝えします。
脱下請け
──既存のゼネコンのイメージがある中で、お客様の課題を解決するソリューション営業の価値観を内外に浸透させるにはご苦労もあったかと思います。
髙松:おっしゃる通り、小さい会社のときは、そんなこと言っても誰にも相手にされません。
このような価値観が定着する経緯で重要な出来事が90年代の「脱下請け」です。
80年代以前の竣工台帳をめくると、鹿島建設、積水ハウスといった大手の名前が出てきます。これらの竣工台帳は当時大手の下請けの仕事ばかり請け負っていたことを示しています。
脱下請けは私たちの悲願でしたが、実現するにはお客様と直接つながらなくてはいけません。その原動力になったのが90年代の生産緑地法の改正です。
生産緑地法とは、農業を継続することを条件に、固定資産税・相続税等の税務上のメリットを受けることのできる農地のことです。法改正で緑地の環境機能を維持するために、農地として保存すべき土地は保全する「生産緑地」と、宅地への積極的な転用を進めていくための「宅地化農地」が設定されることになりました。
そこで本格的に営業スタッフを増やして農地の宅地運用の提案を行ったのです。通常、施工管理者(=現場監督)が多いのがゼネコンの人員体制なのですが、髙松建設の営業は全社員の30%にも上ります。競合他社の営業スタッフの割合が1割程度なので、特筆して営業が分厚い体制だということがわかると思います。それだけの覚悟を持って営業力を磨いてきました。
このような価値観が定着する経緯で重要な出来事が90年代の「脱下請け」です。
80年代以前の竣工台帳をめくると、鹿島建設、積水ハウスといった大手の名前が出てきます。これらの竣工台帳は当時大手の下請けの仕事ばかり請け負っていたことを示しています。
脱下請けは私たちの悲願でしたが、実現するにはお客様と直接つながらなくてはいけません。その原動力になったのが90年代の生産緑地法の改正です。
生産緑地法とは、農業を継続することを条件に、固定資産税・相続税等の税務上のメリットを受けることのできる農地のことです。法改正で緑地の環境機能を維持するために、農地として保存すべき土地は保全する「生産緑地」と、宅地への積極的な転用を進めていくための「宅地化農地」が設定されることになりました。
そこで本格的に営業スタッフを増やして農地の宅地運用の提案を行ったのです。通常、施工管理者(=現場監督)が多いのがゼネコンの人員体制なのですが、髙松建設の営業は全社員の30%にも上ります。競合他社の営業スタッフの割合が1割程度なので、特筆して営業が分厚い体制だということがわかると思います。それだけの覚悟を持って営業力を磨いてきました。
──業界でも特殊な人員構成なのですね。
髙松:人員構成について、もうひとつ変わっているところがあります。設計士が多いのです。営業と同じぐらいの人数を配置しています。その半分が、一級建築士の資格を取得しています。
通常は設計事務所が描いた図面をゼネコンが形にしますが、髙松建設は特殊性の高い医療施設や特別大きな施設を除いて提案から設計、施工までを一貫して請け負っています。
通常は設計事務所が描いた図面をゼネコンが形にしますが、髙松建設は特殊性の高い医療施設や特別大きな施設を除いて提案から設計、施工までを一貫して請け負っています。
──なぜ設計から施工まで、一貫して請け負うことにこだわったのでしょう?
髙松:当初、私たちは設計士をかかえていませんでしたし、世の中では三者契約の方がフェアでいいという価値観もありました。市場原理が働いてコストが抑えられるからです。しかし、現実には設計事務所は、同じゼネコンにしか仕事を依頼しませんし、慣習的に値段も決まっていることが多いので、三者契約の方が、市場原理が働くとは言えません。
また、工程上どこかでミスがあったら、設計の責任だ、施工の責任だ、と責任の押し付け合いが起こります。こういう状況になると施主様は誰と話せばいいのか、困ってしまいます。こういう事を私たちは下請けの立場で嫌というほど目にしてきました。
ならば初めから一貫して自社で請け負ったほうが施主様のためになるのではないか。施主様の考えを大切にしたい、というのが想いです。何かあっても提案から設計施工まで一貫して行いますので、私たちは逃げられません。そういう考え方で一貫請負を目指して長い年月をかけて人を集めて組織や企業風土を変えてきました。ゼネコンのやり方というよりも考え方はハウスメーカーさんに近いやり方ですね。
また、工程上どこかでミスがあったら、設計の責任だ、施工の責任だ、と責任の押し付け合いが起こります。こういう状況になると施主様は誰と話せばいいのか、困ってしまいます。こういう事を私たちは下請けの立場で嫌というほど目にしてきました。
ならば初めから一貫して自社で請け負ったほうが施主様のためになるのではないか。施主様の考えを大切にしたい、というのが想いです。何かあっても提案から設計施工まで一貫して行いますので、私たちは逃げられません。そういう考え方で一貫請負を目指して長い年月をかけて人を集めて組織や企業風土を変えてきました。ゼネコンのやり方というよりも考え方はハウスメーカーさんに近いやり方ですね。
バブル後の飛躍
──徹底してお客様の課題に寄り添う、というのが基本姿勢でソリューション営業と一貫施工という二つの特徴を磨き上げてきたのですね。確固たるビジョンと長い時をかけて人的、技術的な裏付けを築いてきたからこそ今日の御社の成長があるのだと思います。ところで御社は企業買収でも大きな成果を上げておられますね。
髙松:はい。髙松建設はバブル崩壊後のタイミングで大型のM&A(企業買収)をいくつかまとめました。それが大きな成長のきっかけになりました。景気が悪かったので大きい会社が安く買えた時期でした。
──どこの会社も財務状況が悪い中で、なぜそのタイミングで拡大の舵を切ることができたのですか?
髙松:バブル期、髙松建設は非常に堅実に商売をしていました。
当時は私の父が社長を務めていたのですが、例に漏れず銀行の支店長が来て「この土地を買ってください」と言ってくる。「いや、買わない」と答えると、「なぜ買わないのですか。朝買えば昼には値上がりします。今投資しないのは馬鹿なことだ」と言われたそうです。
もちろん私たちも不動産売買は行います。でもそれはあくまで建築物ありきの売買です。土地を右から左に転がして儲けることは私たちの仕事ではない。我々は不動産会社ではなく建設会社である、それが髙松建設の一貫した姿勢です。
運がよかったという側面もあります。バブル崩壊が上場直前のタイミングだったので、上場に備えて内部留保をどんどん蓄えていたのです。あれが上場した後で資金がドカンと入ってきたあとだったら、どうなっていたことか。
当時は私の父が社長を務めていたのですが、例に漏れず銀行の支店長が来て「この土地を買ってください」と言ってくる。「いや、買わない」と答えると、「なぜ買わないのですか。朝買えば昼には値上がりします。今投資しないのは馬鹿なことだ」と言われたそうです。
もちろん私たちも不動産売買は行います。でもそれはあくまで建築物ありきの売買です。土地を右から左に転がして儲けることは私たちの仕事ではない。我々は不動産会社ではなく建設会社である、それが髙松建設の一貫した姿勢です。
運がよかったという側面もあります。バブル崩壊が上場直前のタイミングだったので、上場に備えて内部留保をどんどん蓄えていたのです。あれが上場した後で資金がドカンと入ってきたあとだったら、どうなっていたことか。
──バブル崩壊前に内部留保を蓄え、崩壊後に上場で得た資金でM&Aをして攻めに転じる、これは後から見ているから言えることですが、理想的なタイミングで事をなされていますね。
髙松:確かにそうですね(笑)。ただ、企業買収に対してもすごく慎重で、敵対的買収は一つもやっていません。
銀行から依頼されたり、取引先から頼まれて引き受けた会社ばかりです。今でこそM&Aは一つの経営戦略になっていますが、今から2、30年前にはまだそこまで一般的な手法ではありませんでした。
ですからそれらの会社を妥当な価格で買えたのはラッキーだったと思います。当社の歴史を見ると、沢山の人たちの苦労が土台になっていると共に運にも恵まれた会社だと思うのです。
銀行から依頼されたり、取引先から頼まれて引き受けた会社ばかりです。今でこそM&Aは一つの経営戦略になっていますが、今から2、30年前にはまだそこまで一般的な手法ではありませんでした。
ですからそれらの会社を妥当な価格で買えたのはラッキーだったと思います。当社の歴史を見ると、沢山の人たちの苦労が土台になっていると共に運にも恵まれた会社だと思うのです。
逆境でも前に進む「負けない経営」
──堅実さが運を呼び込んだとも言えますね。
髙松:当社は、同時期に設立された会社、例えば積水ハウスさん等と比べて大化けした会社ではありません。父は身の丈、実力にあった成長が大切だと考えていました。堅実でぶれない軸があることが当社の特徴ですので。
社長就任時、退任した父から「別に伸ばしてくれなくていい。ただ潰すな」と言われました。
わたしは48歳で社長になっていますから、そんな言葉は社長就任当時の若い私には刺さらなかったのですよね。でも最近は父の姿を見てきて感じるところもあるのです。
小西さんはしんがりってご存じですか
社長就任時、退任した父から「別に伸ばしてくれなくていい。ただ潰すな」と言われました。
わたしは48歳で社長になっていますから、そんな言葉は社長就任当時の若い私には刺さらなかったのですよね。でも最近は父の姿を見てきて感じるところもあるのです。
小西さんはしんがりってご存じですか
──撤退戦を担う部隊のしんがりですか?
髙松:そうです。負け戦のときに殿様を先に逃がして、追っ手をケチらしながら自分も逃げるのがしんがりの役割です。殿様さえ逃せば負けにはならない。織田信長のしんがり役は羽柴(豊臣)秀吉が担うことが多く、常に一番強い武将が務めていました。
上り調子の時はどれだけコインをベットするか、で事業の成長が決まります。度胸で成長が決まると言ってもいいと思います。ですが、不況の時に事業を伸ばす経営者はしんがりを務める武将にも似ています。本当に強くて芯がある経営者でなくてはいけない。私はずっと父の背中を目の当たりにしてきたので、負けないことの重みがよく分かります。
上り調子の時はどれだけコインをベットするか、で事業の成長が決まります。度胸で成長が決まると言ってもいいと思います。ですが、不況の時に事業を伸ばす経営者はしんがりを務める武将にも似ています。本当に強くて芯がある経営者でなくてはいけない。私はずっと父の背中を目の当たりにしてきたので、負けないことの重みがよく分かります。
──逆境の中でこそ真価が問われるのですね。コロナ禍でも黒字経営を続けておられます。
髙松:現在のコロナ禍は勿論私のビジョンにはありませんでした。想定しえない苦境ですが、なんとか乗り越えられそうです。私の友人にヨット乗りがいるのですが、ヨットは向かい風の中でも、帆を斜め45度にして飛行機の揚力のような原理で風上に進むことができるそうです。逆風の中でも前に進む経営というものはあるのだと思います。
髙松建設は何者なのか
──逆境の中でも前に進む経営、非常に重みがあるお言葉です。逆境という意味では少子高齢化に伴う人口減という大きな時代の流れに私たちは直面しています。最後に今後の展望を教えてください。
髙松:当社の主力事業だった賃貸マンション部門は、人口減と世帯数の減少によって今後の先行きは明るくありません。人口が増えない国では需要が増えることはありません。ましてや衣食住の住ですから、人口の変化はてきめんに数字に表れてきます。所有と賃貸、2つの選択肢がある中で、人口減は市場に所有される家が行き渡ってくることを意味します。
そういう変化が緩やかに起こってくる。かつて「髙松建設は賃マン屋だ」なんて言われていた時もあるのですが、今はもう誰も言いません。状況を予測して少しずつ会社を変化させてきました。例えば、多様化する資金調達方法に対応するためにファイナンスを強化したり、海外展開の布石を打ったり。世の中の大きな変化に合わせて選択と集中を繰り返して進んでいかなくてはいけません。
そんなときこそ重要なのが「髙松建設は何者なのか」ということです。現在、持株会社である髙松コンストラクショングループは業界14位、スーパーゼネコンに次ぐ準大手と言われるポジションにありますが、私たちはスーパーゼネコンを目指しているわけではありません。私たちは「提案力と技術力の髙松建設」です。施主様のニーズの近くにいることがアイデンティティーです。
技術力という面では現在一貫施工が私たちの仕事の特徴ですが、私はさらにできることを増やして「そこに行けばなんでも揃う」というような会社、ワンストップ型の会社を目指したいと思っています。提案力、という面で重要なのはやはり営業スタッフです。
私たちの業界は土地の有効活用を提案するので「有活業界」と言われていますが、離職率が高いことが当たり前になっています。私は昔から営業が辞めていくのを見るのがとても嫌でした。やめていく理由は色々ありますが、その半分以上は企業の努力不足です。
売れない営業スタッフって、商品のせいにしますよね。「高いから買ってくれません。よそはもっと安いです」って。鏡を見て、今の自分にできることは何なのか。それを探すことが営業の役割です。武器の文句は暇なときに言えばいい。だからこそ営業スタッフが大切なのです。
スタッフの離職を新陳代謝と言っているような会社では営業スタッフは育ちません。私たちは有活業界のパイオニアとしてこのような環境を変えていきたいと思っています。
そういう変化が緩やかに起こってくる。かつて「髙松建設は賃マン屋だ」なんて言われていた時もあるのですが、今はもう誰も言いません。状況を予測して少しずつ会社を変化させてきました。例えば、多様化する資金調達方法に対応するためにファイナンスを強化したり、海外展開の布石を打ったり。世の中の大きな変化に合わせて選択と集中を繰り返して進んでいかなくてはいけません。
そんなときこそ重要なのが「髙松建設は何者なのか」ということです。現在、持株会社である髙松コンストラクショングループは業界14位、スーパーゼネコンに次ぐ準大手と言われるポジションにありますが、私たちはスーパーゼネコンを目指しているわけではありません。私たちは「提案力と技術力の髙松建設」です。施主様のニーズの近くにいることがアイデンティティーです。
技術力という面では現在一貫施工が私たちの仕事の特徴ですが、私はさらにできることを増やして「そこに行けばなんでも揃う」というような会社、ワンストップ型の会社を目指したいと思っています。提案力、という面で重要なのはやはり営業スタッフです。
私たちの業界は土地の有効活用を提案するので「有活業界」と言われていますが、離職率が高いことが当たり前になっています。私は昔から営業が辞めていくのを見るのがとても嫌でした。やめていく理由は色々ありますが、その半分以上は企業の努力不足です。
売れない営業スタッフって、商品のせいにしますよね。「高いから買ってくれません。よそはもっと安いです」って。鏡を見て、今の自分にできることは何なのか。それを探すことが営業の役割です。武器の文句は暇なときに言えばいい。だからこそ営業スタッフが大切なのです。
スタッフの離職を新陳代謝と言っているような会社では営業スタッフは育ちません。私たちは有活業界のパイオニアとしてこのような環境を変えていきたいと思っています。
──本日は非常に学ばせていただきました。変化の時代、様々なチャレンジをする中で、社長御自身が御社の確固たるアイデンティティーを軸足に経営をしておられることに大変感銘を受けました。
髙松:今日は冷や汗をかきました(笑)
今回、お話ししたことの多くは前任者の功績です。プロ経営者の方の中には前任の仕事をすべて壊して違うことをやりたがる方もおられますが、私は前任者の功績も含めて自分の手柄だと思っています。
私は創業101年目の年に社長を任されました。次の100年の第一歩を任されたと思っています。100年先の髙松建設には私はいませんが、次の次、そのまた次の人が、私たちが創業以来理想とする姿に到達してくれたら。ゆっくり急がず、しかし確実に変化してきたいと思います。
今回、お話ししたことの多くは前任者の功績です。プロ経営者の方の中には前任の仕事をすべて壊して違うことをやりたがる方もおられますが、私は前任者の功績も含めて自分の手柄だと思っています。
私は創業101年目の年に社長を任されました。次の100年の第一歩を任されたと思っています。100年先の髙松建設には私はいませんが、次の次、そのまた次の人が、私たちが創業以来理想とする姿に到達してくれたら。ゆっくり急がず、しかし確実に変化してきたいと思います。
髙松建設株式会社
本社:〒532-0025 大阪府大阪市淀川区新北野1-2-3
聞き手:小西敏仁 / 撮影・構成:山本一夫(広報室)