株式会社クイック
今回は株式会社クイックの会長・和納勉様にインタビューをお受けいただきました。クイック社は、リクルートの代理店として創業し、東証プライム市場上場、オープンワーク社の「働きがいのある企業ランキング2023」では7位と業績の面でも組織の面でも素晴らしい成果を上げておられる企業です。
同時に、和納様は関西経済の復興を目指した「関西を元気にする会」を主宰され、関西経済の発展にも多大な貢献をなされておられます。今回は、和納様のご厚意に甘えて、クイック社のこれまでの歩みを伺いながら「いい会社」づくりの要諦を探っていきたいと思います。
同時に、和納様は関西経済の復興を目指した「関西を元気にする会」を主宰され、関西経済の発展にも多大な貢献をなされておられます。今回は、和納様のご厚意に甘えて、クイック社のこれまでの歩みを伺いながら「いい会社」づくりの要諦を探っていきたいと思います。
自分の会社を通して世の中を良くしたい
ーーー本日はインタビューをお受けいただきありがとうございます。まずは、和納会長は創業までの経緯を教えていただけますか。
和納:私は元々、リクルートに勤めていました。リクルートは東大新聞への求人広告に端を発し、リクルートブックの原型を日本で初めて創った会社です。高度成長期の追い風に乗って新卒採用業界は大いに発展し、リクルートはそのリーディングカンパニーとして隆盛を極めました。私はトータルで4年ほど仕事をしたのですが、中途採用部門の営業として、経営者を訪問する日々を過ごしました。
ーーー人事担当者ではなく、経営者と仕事をするスタイルだったのですね?
和納:はい。というのも、私たちの仕事は、単に採用の広告を出すことではなく、経営者の思い描いた人材を採用することそのものです。しかし、企業がはじめから思い描いた通りの採用ができるケースは稀です。
だから、私は経営者の思い描いた人材が採用できなかった場合、求める人材像や採用プロセスの再構築をしていく採用コンサルティングをしようと思ったんです。
だから、私は経営者の思い描いた人材が採用できなかった場合、求める人材像や採用プロセスの再構築をしていく採用コンサルティングをしようと思ったんです。
ーーーだから人事担当者ではなく、経営者と直接お話しになるスタイルで仕事をされていたんですね。そのような仕事の仕方はリクルートで一般的だったのですか?
和納:一般的な仕事の進め方ではありませんでしたが、リクルートは、仕事の型で社員をしばるような会社ではありません。私のやりたいように仕事をさせてもらいました。だから当社は、事業ドメインを考えるときに、商品を絞り込むのではなくて、お客様を絞り込むことが大事だと思っています。
ーーークリエイティブな仕事を、やりがいを持ってしておられたのですね。そんな中、あえて独立をしようと思ったのはなぜですか?
和納:当時のリクルート社員たちは、創業者マインドの塊で、30歳を過ぎれば独立するのが当たり前でした。私も例に漏れず、独立をして、社会変革ができる会社を創りたいと思っていました。
仕事で経験を積み、「いよいよ独立するぞ!」と心を決めて、事業責任者の専務に退職を伝えに行きました。当時の専務は池田友之さんという方で、リクルート創業者の江副浩正さんの東大新聞時代からのパートナーです。池田さんはまた、「会社は、みんなをハッピーにするところなんだ」と何度も私に教えてくれた、大恩人でした。
私の独立の意志を知った池田さんは、「独立するのを止めろ。リクルートの孫会社を作ってやるから、社長として部下を連れてそこに行け」と言っていただきました。
仕事で経験を積み、「いよいよ独立するぞ!」と心を決めて、事業責任者の専務に退職を伝えに行きました。当時の専務は池田友之さんという方で、リクルート創業者の江副浩正さんの東大新聞時代からのパートナーです。池田さんはまた、「会社は、みんなをハッピーにするところなんだ」と何度も私に教えてくれた、大恩人でした。
私の独立の意志を知った池田さんは、「独立するのを止めろ。リクルートの孫会社を作ってやるから、社長として部下を連れてそこに行け」と言っていただきました。
ーーーリスクも小さく、魅力的なオファーのように思います。
和納:確かに一国一城の主として仕事ができる上に、創業のリスクも小さいですね。大変魅力的なオファーではありましたが、いずれ独立して「私の」会社をつくると決めていましたから、中途半端なことはできません。
「リクルートの子会社ではなく、私は『私の』会社を通して世の中を良くしたいんだ」と池田さんを説得しました。池田さんには「気持ちはわかった。では9月19日付で独立したらどうか」と言っていただきました。理由を聞いたら、池田さんの誕生日だそうで…(笑)。
お世話になった方のありがたい誕生日です。おっしゃる通り9月19日付で会社を設立しました。更に社名も9月19日にちなんでクイック(919)と名付けました。
「リクルートの子会社ではなく、私は『私の』会社を通して世の中を良くしたいんだ」と池田さんを説得しました。池田さんには「気持ちはわかった。では9月19日付で独立したらどうか」と言っていただきました。理由を聞いたら、池田さんの誕生日だそうで…(笑)。
お世話になった方のありがたい誕生日です。おっしゃる通り9月19日付で会社を設立しました。更に社名も9月19日にちなんでクイック(919)と名付けました。
クライアントの待遇にまで踏み込む営業
ーーー独立されて、どのようなスタイルでお仕事をされてきたのでしょう?
和納:求人広告の業界では、注目を浴びるようなキャッチコピーを書いてくれ、とか原稿を工夫して求職者に響くように、と言われるケースが多いのですが、私は違うと思っていました。
求職者が目にするのはクライアントの広告だけではありません。いくら原稿の見栄えで努力をしても、効果は非常に限定的です。根本的に魅力ある企業であることが重要です。
ですから、まずはその会社の持っている魅力をヒアリングして明確にして広告をつくっていきます。福利厚生面がいい、若い集団で昇進が早い、人事の制度がいい、人間関係がいい、商品に誇りが持てる、など求職者にとって魅力的なところはどこなのかを話し合い、一つ一つ合意していきます。
魅力が不足している場合は、諸制度など待遇を変えてもらう必要があります。必要とあらば待遇面まで踏み込む。それが私達のスタイルでした。
求職者が目にするのはクライアントの広告だけではありません。いくら原稿の見栄えで努力をしても、効果は非常に限定的です。根本的に魅力ある企業であることが重要です。
ですから、まずはその会社の持っている魅力をヒアリングして明確にして広告をつくっていきます。福利厚生面がいい、若い集団で昇進が早い、人事の制度がいい、人間関係がいい、商品に誇りが持てる、など求職者にとって魅力的なところはどこなのかを話し合い、一つ一つ合意していきます。
魅力が不足している場合は、諸制度など待遇を変えてもらう必要があります。必要とあらば待遇面まで踏み込む。それが私達のスタイルでした。
ーーー企業の待遇面まで提案をして変えてもらう、採用エージェント。今聞いても独創的です。
和納:それほどまでに人の採用は企業経営にとって重要です。創業間もない頃、こんなエピソードがありました。
ある会社に、「あなたに任せます」と言っていただきました。懸命考えて求人広告をつくったのですが、待遇や仕事内容があまり魅力的ではありません。実際、広告期間を2週、3週と延長しても応募者は1人も現れませんでした。
これに落胆したその会社の部長さんに「御社にお願いしたのは間違いだった。金をどぶに捨てたようなものだ!」と言われてしまいました。恥ずかしい話、私はその場で大泣きしてしまいました。
「私は、御社の為に一生懸命やってきました。それを『金をどぶに捨てた』と言われるのは納得いきません。もう1度チャンスをください!」と訴えました。それを意気に感じてくれた部長が、もう一度トライする機会をくださいました。
任せていただいたからには結果を出さなければいけません。何とかして応募者を出すために、給与条件を上げる提案をしました。会社のコストが変わる提案なので、生半可な覚悟で提案は出来ません。でも何とか認めてもらいました。
結果、無事応募者を出すことができて、お客様にはすごく喜んでいただきました。こちらも嬉しかったですね。望む採用ができるようにする、というのが我々の仕事ですから。
ある会社に、「あなたに任せます」と言っていただきました。懸命考えて求人広告をつくったのですが、待遇や仕事内容があまり魅力的ではありません。実際、広告期間を2週、3週と延長しても応募者は1人も現れませんでした。
これに落胆したその会社の部長さんに「御社にお願いしたのは間違いだった。金をどぶに捨てたようなものだ!」と言われてしまいました。恥ずかしい話、私はその場で大泣きしてしまいました。
「私は、御社の為に一生懸命やってきました。それを『金をどぶに捨てた』と言われるのは納得いきません。もう1度チャンスをください!」と訴えました。それを意気に感じてくれた部長が、もう一度トライする機会をくださいました。
任せていただいたからには結果を出さなければいけません。何とかして応募者を出すために、給与条件を上げる提案をしました。会社のコストが変わる提案なので、生半可な覚悟で提案は出来ません。でも何とか認めてもらいました。
結果、無事応募者を出すことができて、お客様にはすごく喜んでいただきました。こちらも嬉しかったですね。望む採用ができるようにする、というのが我々の仕事ですから。
ーーー「経営者が望む人材を採用する」ことに深くコミットして仕事されていたのですね。当時、弊社との出会いもあったと伺いました。
和納:はい、貴社がトヨタの正規代理店としてスタートを切った1980年当時にお世話になりました。初代社長の小西清海さんの時代でしたね。非常に迫力ある方で、社員によく声をかけて歩いておられたのが印象的です。
私は専務と一緒に仕事をさせていただきましたが、本当にお世話になりました。待遇を含めて社員さんをとても大切にしておられました。今、こうやって3代目のあなたとお話しをしていることは非常に感慨深いですね。
私は専務と一緒に仕事をさせていただきましたが、本当にお世話になりました。待遇を含めて社員さんをとても大切にしておられました。今、こうやって3代目のあなたとお話しをしていることは非常に感慨深いですね。
関わった人全てをハッピーに
ーーー創業当時、どんな経営課題があったのでしょう?
和納:会社が成長して社員が50名ほどになると、人が辞めるようになってきました。
ハードワークな業界ですから、仕事の面白さが分からないまま沢山の人が辞めていきます。次第に退職問題が、私の大きな悩みになっていきました。
創業メンバーには、言語化されていないものの、仕事の目的や大儀のようなものがありました。しかし、やめていく社員の多くは、自分の生活のために仕事をしています。「何のために仕事をするのか」、「何のために会社を大きくするのか」が言語化されていないから、若いメンバーに想いが伝わらないんだ、そう思いました。
そこで、モチベーションの源泉になるような理念を創ろうと思ったのです。理念は、会社のすべての仕事の寄る辺となる大きな木です。とても大事な事なので、他の会社の色々な企業理念を勉強しました。
最終的に行きついたのが、リクルートでお世話になった池田さんの言葉です。「関わった人全てをハッピーに」という恩師の言葉が私の心にしっくりきたのです。
ハードワークな業界ですから、仕事の面白さが分からないまま沢山の人が辞めていきます。次第に退職問題が、私の大きな悩みになっていきました。
創業メンバーには、言語化されていないものの、仕事の目的や大儀のようなものがありました。しかし、やめていく社員の多くは、自分の生活のために仕事をしています。「何のために仕事をするのか」、「何のために会社を大きくするのか」が言語化されていないから、若いメンバーに想いが伝わらないんだ、そう思いました。
そこで、モチベーションの源泉になるような理念を創ろうと思ったのです。理念は、会社のすべての仕事の寄る辺となる大きな木です。とても大事な事なので、他の会社の色々な企業理念を勉強しました。
最終的に行きついたのが、リクルートでお世話になった池田さんの言葉です。「関わった人全てをハッピーに」という恩師の言葉が私の心にしっくりきたのです。
ーーー創業メンバーの仕事のモチベーションを言葉にしたのですね。それがリクルートの池田さんの「関わった人全てをハッピーに」という言葉だった―と。
和納:はい。「関わった人全てをハッピーに」という理念は、自分たちの損得を優先すると実現できません。理念は、社員にとって仕事のやりがいになるだけではなく、経営にも正直さを求めます。
世の中には口先だけで立派な事を言う人もいますが、言い続けているとそれが段々本音になってきます。私自身、言い続けているうちに、そういう事業でありたい、そういう会社でありたいと真剣に思うようになっていきました。
世の中には口先だけで立派な事を言う人もいますが、言い続けているとそれが段々本音になってきます。私自身、言い続けているうちに、そういう事業でありたい、そういう会社でありたいと真剣に思うようになっていきました。
ーーー言い続けることで、ご自身の本気度も上がっていったのですね。実際に会社が変わったと感じられるようになったのは、どれぐらいの時間が経ってからだったのでしょう?
和納:10年ぐらいかかりました。
会社は、理念によって急に変化するものではありません。なぜなら、最初は社員が、理念が本当に仕事の目的なのか、信じられないからです。
朝礼で社是の唱和をやっている会社も、社員みんなが本音で社是を大切にしているかというと、必ずしもそうではありません。私が理念を浸透させるうえで大切だと思っているのは、理念に従った行動を会社が行うことです。
お客様から求人広告をもらうことよりも、顧客に何ができるのかを考える。出る杭を尊重する。キャリアアップを目指す人が学べる制度をつくる。ハッピーであるために待遇面もできる限り改善する。社員の家族を大事にする。家族がハッピーだと社員もハッピーになりますからね。
そのようにして、あらゆる会社の行動、方針を「関わった人全てをハッピーに」という価値観に揃えていって、初めて会社に理念が染み渡っていくのです。
会社は、理念によって急に変化するものではありません。なぜなら、最初は社員が、理念が本当に仕事の目的なのか、信じられないからです。
朝礼で社是の唱和をやっている会社も、社員みんなが本音で社是を大切にしているかというと、必ずしもそうではありません。私が理念を浸透させるうえで大切だと思っているのは、理念に従った行動を会社が行うことです。
お客様から求人広告をもらうことよりも、顧客に何ができるのかを考える。出る杭を尊重する。キャリアアップを目指す人が学べる制度をつくる。ハッピーであるために待遇面もできる限り改善する。社員の家族を大事にする。家族がハッピーだと社員もハッピーになりますからね。
そのようにして、あらゆる会社の行動、方針を「関わった人全てをハッピーに」という価値観に揃えていって、初めて会社に理念が染み渡っていくのです。
ーーー会社のすべての活動が理念の元に、ウソなく統合された状態になって、初めて社員みんなが理念を大切にできるようになるのですね。創業10年で非常に強い組織になった感もありますが、その後にバブル崩壊を経験されていますね。
和納:創業から11年は、成長して当然の環境でした。池田さんの後押しもあって、当時圧倒的に強いメディアであるリクルートの代理店でしたし。商品開発もマーケティングもリクルートが行ってくれていて、我々は営業社員を増やして、活動さえマネジメントできていればいい。そういう経営でしたから、簡単に成長することができました。
そこで起こったのがバブル崩壊です。当時の私は「自分はうまくできる」と浮かれて油断していました。
そこで起こったのがバブル崩壊です。当時の私は「自分はうまくできる」と浮かれて油断していました。
何をやってもうまくいかないバブル崩壊期
ーーーバブル崩壊は、採用業界にどのような影響を与えたのですか?
和納:当時は経済全体が縮小して、採用どころではありません。自然、募集広告はなくなります。バブル崩壊前、32億あった売上がたった1年で15億7000万まで落ちました。
売上が上がるとともに、経費もどんどん増えていた時代でした。経費負担が重く経営にのしかかり、来月倒産か、というところまで追い込まれました。
ありとあらゆる経費を削りましたが、経費の多くを占めていたのが人件費です。創業した時からリストラはしないと宣言していたので簡単にリストラはできません。
社員の賞与をなんとか金一封にさせてもらい、自分と創業メンバー2人が、1年間無報酬でやりました。社員のリストラをするぐらいなら、自分たちの給料がなくなった方がまだ気が楽です。ストレスがたまって、血尿が続きました。
それでもどうしようもなくなって、メインバンクの東京三菱銀行に一生懸命頭を下げて、融資をお願いしました。
支店長に「今まで真面目に当行とお付き合いしていただきました。御社であれば、この難局を必ず乗り越えられると、信じてます」と言っていただき、3000万の融資を認めてもらえました。
それでなんとか生きながらえたんです。
売上が上がるとともに、経費もどんどん増えていた時代でした。経費負担が重く経営にのしかかり、来月倒産か、というところまで追い込まれました。
ありとあらゆる経費を削りましたが、経費の多くを占めていたのが人件費です。創業した時からリストラはしないと宣言していたので簡単にリストラはできません。
社員の賞与をなんとか金一封にさせてもらい、自分と創業メンバー2人が、1年間無報酬でやりました。社員のリストラをするぐらいなら、自分たちの給料がなくなった方がまだ気が楽です。ストレスがたまって、血尿が続きました。
それでもどうしようもなくなって、メインバンクの東京三菱銀行に一生懸命頭を下げて、融資をお願いしました。
支店長に「今まで真面目に当行とお付き合いしていただきました。御社であれば、この難局を必ず乗り越えられると、信じてます」と言っていただき、3000万の融資を認めてもらえました。
それでなんとか生きながらえたんです。
ーーーすんでのところで危機を乗り越えられたのですね
和納:今も当時の支店長さんと、年賀状のやり取りをしています。「クイックさんの成長を楽しみにしています」といつも書いて下さるので、当時の想いがよみがえります。
ーーーこの経験からどんなことを学ばれたのでしょう?
和納:まずは売上が上がっても、経費を増やさないこと。
バブル前に売上UPと共に経費が高くなっていたので本当に苦労しました。経営には、逆風が吹くことを想定しておかなければいけません。
そのおかげもあって、リーマンショックの時も、リストラはせずに済みました。
リーマンショックの時は、経費を増やさず自己資本をストックしていたので、半年売上がなくても、持ちこたえられる状態だったのです。バブルがはじけた時に比べれば、比較的楽に乗り越えることができました。
バブル前に売上UPと共に経費が高くなっていたので本当に苦労しました。経営には、逆風が吹くことを想定しておかなければいけません。
そのおかげもあって、リーマンショックの時も、リストラはせずに済みました。
リーマンショックの時は、経費を増やさず自己資本をストックしていたので、半年売上がなくても、持ちこたえられる状態だったのです。バブルがはじけた時に比べれば、比較的楽に乗り越えることができました。
ーーーバブルの苦い経験があったからこそいたずらに経費を増やさず、結果的に危機に耐えられるだけの資本をストックできたのですね。
和納:はい。もう一つ学んだことがあります。
それは家族の大切さです。バブル当時、無給で仕事をしていた私ですが、妻が愚痴ひとつ言わなかったんです。本当に救われましたね。外で辛いのに、家に帰っても辛い思いをしたら、やりきれません。子供がまだ小さいころで、帰ったらお父さんおかえりって言って、飛びついてくるんです。心から癒されました。
だから、新人研修では、クイックの歴史を話しながら、「家族を大事にしなさい」といつも言っています。
それは家族の大切さです。バブル当時、無給で仕事をしていた私ですが、妻が愚痴ひとつ言わなかったんです。本当に救われましたね。外で辛いのに、家に帰っても辛い思いをしたら、やりきれません。子供がまだ小さいころで、帰ったらお父さんおかえりって言って、飛びついてくるんです。心から癒されました。
だから、新人研修では、クイックの歴史を話しながら、「家族を大事にしなさい」といつも言っています。
ーーー1年間無給で仕事をするほどの経営状況の中、家族の支えがあったからこそ危機を乗り越えることができたのですね。御社はバブル崩壊を乗り越えた後、順調に成長され2001年に上場されています。
和納:先ほど、自己資本の話をしましたが、バブル崩壊の経験から学んだのは、銀行の融資に頼る資本政策はダメだということです。資本を強化するという意味で、上場を意識し始めました。
ーーー上場を目指して順調に事業拡大を進められた、成長のエンジンはなんだったのでしょう
和納:一つは新規事業です。バブル崩壊時、私たちの事業は「リクルートの採用の広告」一本でした。この領域が萎んでしまうと、手詰まりになってしまいます。
ですからまず多角化を考えました。そこで、2つの新規事業をはじめます。それは「人材サービス」と「日本の人事部としての情報提供事業」です。
ですからまず多角化を考えました。そこで、2つの新規事業をはじめます。それは「人材サービス」と「日本の人事部としての情報提供事業」です。
「にじみ出した」事業を任せて進める
ーーー新規事業をはじめる上でのマイルールはありますか?
和納:私は“にじみ出し”と呼んでいるのですが、今やっている本業に関連した事業を行うことです。そうすると、自分たちの人的資産や信用、ノウハウを使うことができます。急にITや飲食をやっても今までの資産が活用できずうまくいきません。
例えば飲食であれば、売価は10円、20円の戦いですから、非常に細かなオペレーションが必要です。我々にその知見はありません。であれば、もともと持つ営業力や、信用と商談力などを使って、出てくる何かを考えた方が良い。
「人材サービス」も「日本の人事部」も本業の採用広告事業で培った強みを生かした、「にじみ出した」事業です。
例えば飲食であれば、売価は10円、20円の戦いですから、非常に細かなオペレーションが必要です。我々にその知見はありません。であれば、もともと持つ営業力や、信用と商談力などを使って、出てくる何かを考えた方が良い。
「人材サービス」も「日本の人事部」も本業の採用広告事業で培った強みを生かした、「にじみ出した」事業です。
ーーー綿密に計画してスタートしても、新規事業を進めるのは難しいですよね。
和納:はい。何より難しいのは「やめる判断」です。収益が出なかったら、3年から5年以内には撤退を判断するべきだと思います。新規事業の領域で無理してはいけません。
うまく花開くと思った時でも、次の新しい勢力や競合が出てきて主役の座を奪われてしまうこともあります。そういう場合は、かなり大きな投資をしない限り優位性は取り戻せないものです。ここに具体的な指標や指針はありません。経営の直感で撤退を決めてきました。
うまく花開くと思った時でも、次の新しい勢力や競合が出てきて主役の座を奪われてしまうこともあります。そういう場合は、かなり大きな投資をしない限り優位性は取り戻せないものです。ここに具体的な指標や指針はありません。経営の直感で撤退を決めてきました。
ーーー経営者として撤退の判断をする役割を大切にされているのですね。新規事業を進める上で大切にされていることは何ですか?
和納:一番大切なことは事業を誰に任せるか、ということです。外部から連れてきても上手くいかないですし、既存事業でうまくいっている社内の人間でも、新規事業は不測の事態の連続ですから、上手くいくとは限りません。
私は事業責任者の選定は、本人に手を上げてもらう方法が最も良いと思っています。新規事業は、事業を軌道に乗せるために、歯を食いしばって頑張る必要がありますから。例えば、グループの「日本の人事部」事業を担っている「株式会社HRビジョン」の社長は、構想を聞いて、ぜひやりたいと手を上げたメンバーです。
私は事業責任者の選定は、本人に手を上げてもらう方法が最も良いと思っています。新規事業は、事業を軌道に乗せるために、歯を食いしばって頑張る必要がありますから。例えば、グループの「日本の人事部」事業を担っている「株式会社HRビジョン」の社長は、構想を聞いて、ぜひやりたいと手を上げたメンバーです。
ーーーリーダーにはどんなことを期待しておられますか?
和納:まず、私から事業の向かう方向性を伝えます。「我々は世界の人事部を目指しているんだ」と。それに対し、メンバーがアイデアを色々と考えてくるわけですね。私は向かう方向に対して、アイデアが合っているか、という点だけを確認します。
ある程度方向性が整うと、後はメンバーの自由にやってもらいます。基本はやりたいと言うことをやってもらった方がいいです。私は関与しません
ある程度方向性が整うと、後はメンバーの自由にやってもらいます。基本はやりたいと言うことをやってもらった方がいいです。私は関与しません
ーーー誰よりも業界を熟知している和納会長があえて口を出さない理由はなんですか?
和納:新しい事にチャレンジする上では、成功体験のあるベテランよりも若い人がやった方が柔軟に発想するので、成功しやすいと思っています。
元々クイックの営業の仕方には、「こうすべき」という枠がありませんでした。新しい情報誌のスタイルで、新しい広告を出していくことを志向していたので、自分たちで模索するしかなかったのです。
我々のビジネスには、お手本や先人はいませんでした。だから自由にやって、自分で工夫して業績を創ることが大切でした。そのように考え抜いてきたからこそ、クイックの今日があるのだと思います。
ですので、干渉しないで、やらせます。新しいことが目の前にあれば、考えざるを得ない。人間はその中で成長していきますからね。私は結果として表れてくる数字を見るだけです。やり方の指示や余計な口出しはしません。
向こうが相談してくるケースは多いのですが、メンバーが萎縮してしまうのが一番怖いので、極力我慢して口出ししないようにしています。不安にはなりますけどね。
元々クイックの営業の仕方には、「こうすべき」という枠がありませんでした。新しい情報誌のスタイルで、新しい広告を出していくことを志向していたので、自分たちで模索するしかなかったのです。
我々のビジネスには、お手本や先人はいませんでした。だから自由にやって、自分で工夫して業績を創ることが大切でした。そのように考え抜いてきたからこそ、クイックの今日があるのだと思います。
ですので、干渉しないで、やらせます。新しいことが目の前にあれば、考えざるを得ない。人間はその中で成長していきますからね。私は結果として表れてくる数字を見るだけです。やり方の指示や余計な口出しはしません。
向こうが相談してくるケースは多いのですが、メンバーが萎縮してしまうのが一番怖いので、極力我慢して口出ししないようにしています。不安にはなりますけどね。
ーーーメンバーが自由に発想できるような環境を整えることを大切にしておられるのですね。その為には不安に耐えることも必要なのですね
和納:そういう事もあって、クイックには、失敗してもいい、という風土ができてきたと思います。失敗を恐れると、人は今の仕事の枠を出たがらないですし、思い切った動きができません。仕事の枠を出たり、思い切ったチャレンジをするのは安全なことではありませんから。
一生懸命、本人がやって結果が悪くても、責任をとるのは私ですから安心して新しい事に取り組んでもらいたいです。
一生懸命、本人がやって結果が悪くても、責任をとるのは私ですから安心して新しい事に取り組んでもらいたいです。
ーーーチャレンジする風土、言うは易し、行うは難しです。その為には、膨大な時間とリーダーの自制が必要なのですね。そういう風土づくりを通して、新規事業を成功させることができ、会社を上場させることができたのですね。
和納:はい。上場するのは非常に大変なことですし、世間からの目が明らかに変わりました。そういう周りからの目に触れて、社員の意識が変わりました。選ばれたところに自分たちはいるんだ、と
ーーー今後のビジョンについて教えていただけますか。
和納:売上を更に上げて、強い影響力を持った会社にしてきたいと思っています。一定のボリュームを超えれば、世界で影響力を出すことができます。そのために、2030年には1000億円の売り上げの企業にします。今期が270億ぐらいですから、4倍です。
ーーーチャレンジングなビジョンですね。
和納:今のロードマップでいけば、すぐ2倍の600億になる計画です。ポイントは600億の売上を達成する中で、どうやって100億200億の新規事業がつくれるか。もちろん発想の中にはM&A(企業買収)もあります。
例えば派遣会社1つ買えば、売上100億は作れます。そのようなM&Aと社内から上がる新規事業の2つの組み合わせでまずは事業規模を倍にしたいと思っています。
例えば派遣会社1つ買えば、売上100億は作れます。そのようなM&Aと社内から上がる新規事業の2つの組み合わせでまずは事業規模を倍にしたいと思っています。
ーーー売り上げ目標を達成することを通して、創りたい未来はどのような未来なのでしょう?
和納:人材サービス業界の中には、利益だけを追求して、外国人労働者を不当に扱っている会社があります。また、企業に専門職を紹介して半年後、また引き抜いて次の会社に紹介するというような仕事の仕方をしている会社もあります。
人材サービス業界は、本来、企業と求職者の双方のお役に立つ素晴らしい仕事です。だから我々のような志の高い企業がしっかりと成長して業界をもっと良くしたいのです。
人材サービス業界は、本来、企業と求職者の双方のお役に立つ素晴らしい仕事です。だから我々のような志の高い企業がしっかりと成長して業界をもっと良くしたいのです。
ーーーまさに「関わった人全てをハッピーに」ですね!最後に当社の社員に何かメッセージをいただけないでしょうか。
和納:以前からお付き合いさせていただいていて、御社は社員を大事にする会社だと思います。一人ひとりの社員の皆さんが、社内改革の主体者になれば、もっと素晴らしい会社になると思います。
これは経営者が「いい会社にしたい」と思うだけでは、できることではありません。
働く中でいい会社にしたい、地域や社会に貢献したい、そういう想いを持っていただければ、素晴らしい会社になるのではないでしょうか。
これは経営者が「いい会社にしたい」と思うだけでは、できることではありません。
働く中でいい会社にしたい、地域や社会に貢献したい、そういう想いを持っていただければ、素晴らしい会社になるのではないでしょうか。
ーーーありがとうございます。本日は、沢山勉強させていただきました。
株式会社クイック
<大阪本社>
〒530-0018 大阪市北区小松原町2-4 大阪富国生命ビル
<東京本社>
〒107-0052 東京都港区赤坂2-11-7 ATT新館
聞き手:小西敏仁 / 撮影:唐沢麻衣 / 構成:山本一夫(広報室)
私たちネッツトヨタニューリー北大阪株式会社は1961年の創業以来、 「自分の子供を入れたくなる会社になる」「世代を超えて100年続く」という2つのゴールを掲げ、社員にとって幸せな職場になることを一貫して目指してまいりました。 このコーナーでは従業員を大切に経営されている企業トップにインタビューさせていただき、社員価値の高い企業づくりについて学びます。 真のお客様価値は幸せに働く社員によって生み出される、が私たちの信念です。記事を通して私たちの目指すゴールを多くの方に知って頂ければ幸いです。
ネッツトヨタニューリー北大阪株式会社
代表取締役社長 小西 敏仁