株式会社 新流
楽天市場、Yahoo!ショッピング等で数多の賞を受賞、腕時計ネット通販のパイオニアである株式会社新流の本社は、当社と同じ大阪府豊中市にあります。長く愛用いただくことができない並行ルートの腕時計は一切取り扱わず、メーカー正規販売品のみを取扱うという一貫したポリシーのもと、社員ひとりひとりとの信頼関係を大切にし、それぞれが経営感覚を磨くことに注力しておられる玉江浩明社長様にお話をお伺いしました。
ーーー本日は取材をお受けいただきありがとうございます。人を大切にする経営、をキーワードに様々な組織の取材をさせていただいています。御社は、社員さんを大切に経営されている元気な会社、ということでご紹介いただき、お会いできることを楽しみにしておりました。現在、ネット販売の分野で確固たる地位を築かれている御社ですが、創業のきっかけは何だったのでしょう?
玉江:大学卒業したのは、ちょうどバブル崩壊後の就職氷河期でした。就職できなかったので、何をするか考えました。「中国語さえできたらなんか商売ができるんちゃうか」そう思って、中国の北京に留学しました。
しばらくして、力試しのつもりで、香港まで中国人に混じって旅行しました。その時、香港の手前の深圳で工場を見学させてもらったのが転機になりました。その工場では「たまごっち」みたいなゲームを作っているんです。これ、いいな。と思って値段を聞いたら500円でつくってやるって言われて。
「たまごっち」は当時めちゃめちゃ流行っていて、プレミアがついて2万円で流通していました。これを500円で買って2万円で売れたら…と皮算用したんです。
早速、昔バイトをしたラウンジのお客さんに連絡して、500万円借金して1万個のゲームをつくりました。つくったのは犬の「いぬっち」。完成した商品を日本に持ち帰ってきて、ゲーム屋さんや雑貨屋さんに営業をしまくり、めでたく卸し先が決まりました。
しばらくして、力試しのつもりで、香港まで中国人に混じって旅行しました。その時、香港の手前の深圳で工場を見学させてもらったのが転機になりました。その工場では「たまごっち」みたいなゲームを作っているんです。これ、いいな。と思って値段を聞いたら500円でつくってやるって言われて。
「たまごっち」は当時めちゃめちゃ流行っていて、プレミアがついて2万円で流通していました。これを500円で買って2万円で売れたら…と皮算用したんです。
早速、昔バイトをしたラウンジのお客さんに連絡して、500万円借金して1万個のゲームをつくりました。つくったのは犬の「いぬっち」。完成した商品を日本に持ち帰ってきて、ゲーム屋さんや雑貨屋さんに営業をしまくり、めでたく卸し先が決まりました。
ーーーすごい行動の早さですね!
玉江:でも早々に大きな問題が起こります。ゲームの途中で中国語が出てくるんです。「これなんですか!」って言われて、全部クレーム返品。苦労して卸した商品が全部戻ってきてしまいました。
何とかして「いぬっち」を売り切らないと借金が返せません。必死になってフリーマーケットに出店したり、フリーマーケットで売ったりしました。ある日、梅田の歩道橋でいぬっちを売っていたら、時計屋の社長が声をかけてきたんです。
「さっきから見とったら、自分よう売るなぁ。うちの電池切れた時計売ってくれへんか?山ほどあんねん。」って。」そうやって預かった時計を、まずはフリーマーケットで売りました。
「電池切れてるけど、ちゃんと買ったら6000円すんねんで!電池交換は自分でできるから得やで!」とか言って、1個千円で全部売りました。社長は売れた金額の半分を私にくれました。それが今の商売の原点となりました。
電池切れの時計を売り終わったら、今度は電池が切れてない時計を売らせてもらえるようになりました。たくさん売りたかったのですが、店舗を持つ余裕はありません。そこで新聞に広告を出して通販で売ることにしました。
新聞広告を出すと、広告を見た人から電話がかかってきます。全く売れない時もあるんですが、値段によっては大きくヒットするときもあるんです。新聞広告がヒットするとスタートから電話が鳴り続けるんです。受付が私1人ですので、対応している間にキャッチホンがじゃんじゃん鳴るんです。電話を取れなかったら、失注です。
何とかして「いぬっち」を売り切らないと借金が返せません。必死になってフリーマーケットに出店したり、フリーマーケットで売ったりしました。ある日、梅田の歩道橋でいぬっちを売っていたら、時計屋の社長が声をかけてきたんです。
「さっきから見とったら、自分よう売るなぁ。うちの電池切れた時計売ってくれへんか?山ほどあんねん。」って。」そうやって預かった時計を、まずはフリーマーケットで売りました。
「電池切れてるけど、ちゃんと買ったら6000円すんねんで!電池交換は自分でできるから得やで!」とか言って、1個千円で全部売りました。社長は売れた金額の半分を私にくれました。それが今の商売の原点となりました。
電池切れの時計を売り終わったら、今度は電池が切れてない時計を売らせてもらえるようになりました。たくさん売りたかったのですが、店舗を持つ余裕はありません。そこで新聞に広告を出して通販で売ることにしました。
新聞広告を出すと、広告を見た人から電話がかかってきます。全く売れない時もあるんですが、値段によっては大きくヒットするときもあるんです。新聞広告がヒットするとスタートから電話が鳴り続けるんです。受付が私1人ですので、対応している間にキャッチホンがじゃんじゃん鳴るんです。電話を取れなかったら、失注です。
ーーーキャッチホンの着信音が失注の音なんですね。苦労してヒットさせた広告、失注していく事に対してなすすべがないのはつらいですよね。
玉江:はい。なんとか取りこぼしを少なくできないか…悩んでたところで見つけたのがインターネットでした。「これなら取りこぼしをなくせるのではないか」と思いました。これが私とネット販売の出会いです。
当時、まだ楽天市場がオープンして1年ぐらいで、一握りのイノベーターしかインターネットで買い物をしていなかった時代です。
当時、まだ楽天市場がオープンして1年ぐらいで、一握りのイノベーターしかインターネットで買い物をしていなかった時代です。
ーーー当時のEコマースの市場はすごく小さかったのですね。そういう中でインターネットという戦場を選択したのは、失注したくない!という強い想いがきっかけだったのですね
玉江:はい。私がインターネット販売をスタートした時、楽天市場にはまだ1,000店舗(2022年現在57,000店舗)しかありませんでした。ヤフーショッピングだと現在120万店舗(2022年現在)ありますが、当時はほとんど店舗がありませんでした
ーーーそんなインターネット黎明期に参入されて、ご苦労はあったのでしょうね。
玉江:それがそうでもなくて。最初から結構売れたんです。店舗もお客さんも少ないのですが、当時のお客さんはネットで物を買うこと自体にすごくモチベーションが高い方々でした。だから、値段が高くても買ってもらえるんです。当時は、そういうマーケットだったんです。
インターネットに参入してすぐに、ある程度売れる算段がついたので、信用力を高めるために会社を立ち上げました。まだ一般的ではなかったインターネットを使って、新しい流通を作るんだ!という思いを込めて、新流(ニール)と名付けました。1999年の事です。
通販は出荷作業が必要なので、100件注文受けたら100件、出荷しないといけません。順調に売り上げが大きくなっていき、1人で回せなくなっていき、創業3年で会社を組織化することになりました。
インターネットに参入してすぐに、ある程度売れる算段がついたので、信用力を高めるために会社を立ち上げました。まだ一般的ではなかったインターネットを使って、新しい流通を作るんだ!という思いを込めて、新流(ニール)と名付けました。1999年の事です。
通販は出荷作業が必要なので、100件注文受けたら100件、出荷しないといけません。順調に売り上げが大きくなっていき、1人で回せなくなっていき、創業3年で会社を組織化することになりました。
ーーー当時、インターネット利用が爆発的に広がっていきましたが、市場の変化も激しかったのですか?
玉江:はい。インターネットの利用が一般層にも普及していくと共に、ライバル業者が増え、値段競争が激しくなっていきました。
私たちは小売業者なので、販売価格はライバルの値付けに大きく影響されます。これまでなら十分な利益を載せて販売できていたのに、2003年ごろには競合の価格に合わせると利益はほとんど載せられない状態になっていきました。
私たちは小売業者なので、販売価格はライバルの値付けに大きく影響されます。これまでなら十分な利益を載せて販売できていたのに、2003年ごろには競合の価格に合わせると利益はほとんど載せられない状態になっていきました。
ーーーちょうど会社を組織化したタイミングと重なりますね。
玉江:実は、当時の私は本当に未熟で、将来の旗を立てるなんてことは全くなく。社員のみんなは何を目指しているのかも分からない中でただ走らされていたと思います。
今2003年に入社したスタッフが今4人残ってくれているのですが、彼らにはずっとボーナスを出すことができませんでした。
今2003年に入社したスタッフが今4人残ってくれているのですが、彼らにはずっとボーナスを出すことができませんでした。
ーーー現在のホームページを拝見していると、そんな時代があったとは思えません。ビジョナリーでチームを大切にする想いが伝わってきます。
玉江:ありがとうございます。そこから何度も挫折を繰り返してきました。会社がつぶれそうになって、リストラしたこともあります。猛反省して、企業理念や価値観が大切なのではないか、と気づいたのが2010年です。
ーーー7年間の七転八倒の歴史があったのですね。もし差し支えなければ、その間どんな挫折をされたのかって教えていただいていいですか。
玉江:2003年当時、当社のメイン商材は時計だったですが、時計という商品にはリピートがほとんどないんです。商材的に、次買うのは5年以上先ですしね。紹介は多少ありますが、常に新規のお客様を取っていかないといけないビジネスモデルです。
なんとかリピーターが生まれる事業をつくれないかと考えて、2004年にペット事業を立ち上げました。
1回買ってもらったお客様が次、次はもっと高い商品とアップグレードしていけるような、そういう仕組みをつくりたい。当時すごく流行ってた健康食品やペットフードが候補に挙がりました。スタッフ(今は役員)の1人に獣医師がいて、これは強みになるんじゃないか、と。そういう経緯でペット事業をスタートしました。
なんとかリピーターが生まれる事業をつくれないかと考えて、2004年にペット事業を立ち上げました。
1回買ってもらったお客様が次、次はもっと高い商品とアップグレードしていけるような、そういう仕組みをつくりたい。当時すごく流行ってた健康食品やペットフードが候補に挙がりました。スタッフ(今は役員)の1人に獣医師がいて、これは強みになるんじゃないか、と。そういう経緯でペット事業をスタートしました。
ーーー今ではおなじみの「獣医さん推奨」ですね。
玉江:そうです。「獣医さんが相談乗ります」というコーナーもつくりました。あまりニーズがないので閉鎖してしまいましたが。
ーーー仮説を立てたら、すぐ始める。結果が違ったらすぐに解体する。非常に速いスピードで経営をされていますね
玉江:社風として、なんでもすぐやってみて、ダメならやめよう、みたいな速さはありますね。
ーーーペット事業は順調に成長したのですか?
玉江:はい、当初売上は順調に成長していきました。更に商品を充実していく過程で、なんとしても取り扱いたいプレミアムフードに出会ったのですが、そこの社長に「店舗を持っていない会社とは付き合えない。信用できない」と言われました。
当時、インターネット通販というと、メーカーさんには「店舗も在庫も持たず、投資なしで利益をあげる胡散臭いやつら」みたいな見方をされていました。だから私たちには商品をおろしていただけないメーカーさんが非常に多かったんです。
どうしても導入したい商品が扱えない悔しさもありましたし、なんとか認められる会社になりたい、そう思いました。
そういう一心でペットショップを設立することにし、2006年12月、念願かなってオープンの日を迎えました。佐井寺(吹田市)で開業したのですが、生体は扱わず、サロンとカフェとグッズ販売のお店です。「こんなお店あったらいいな」という理想を形にした店舗です。
当時、インターネット通販というと、メーカーさんには「店舗も在庫も持たず、投資なしで利益をあげる胡散臭いやつら」みたいな見方をされていました。だから私たちには商品をおろしていただけないメーカーさんが非常に多かったんです。
どうしても導入したい商品が扱えない悔しさもありましたし、なんとか認められる会社になりたい、そう思いました。
そういう一心でペットショップを設立することにし、2006年12月、念願かなってオープンの日を迎えました。佐井寺(吹田市)で開業したのですが、生体は扱わず、サロンとカフェとグッズ販売のお店です。「こんなお店あったらいいな」という理想を形にした店舗です。
ーーー念願かなって実店舗をオープンされたのですね。
玉江:5人のスタッフを投入し、本社のペット担当で頑張っていたスタッフを店長に抜擢しました。4000万円近く借りて内装にもこだわりました。
しかし、苦労はここからだったんです。店舗オープン後、事業は軌道に乗ることなく、ペットショップは毎月200万ほどの赤字を垂れ流し続けました。神戸からわざわざお買い物いらっしゃる常連さんが週2日来てくださって、毎回10万円購入いただくようなこともあったのですが、全体的に来客は非常に少なく苦しい環境をが続きました。
しかし、苦労はここからだったんです。店舗オープン後、事業は軌道に乗ることなく、ペットショップは毎月200万ほどの赤字を垂れ流し続けました。神戸からわざわざお買い物いらっしゃる常連さんが週2日来てくださって、毎回10万円購入いただくようなこともあったのですが、全体的に来客は非常に少なく苦しい環境をが続きました。
ーーースタッフの皆さんは店舗の赤字をどのように捉えておられたのですか?
玉江:「この店は、そんなに儲からなくてもいいんちゃいますか」とか、「ここはニールの税金対策の店ですよね」という声を耳にしました。赤字部門独特のモチベーションの低さがありました。
ーーー社員さんが「赤字でも仕方ない」と思っていると、事業運営は難しいですね。
玉江:きっちりの説明はしたつもりだったのですが、「赤字でも仕方ない」と言われて、大きな部分でボタンの掛け違いがあったことに気が付きました。最初の段階で私が入って想いを伝える必要があったのに、最初から店長に任せきりにしていました。ここが大きな失敗のポイントだった思います。店長2回ぐらい替えましたけど、それでもどうしてもうまくいかなくて。
最後私が1年ぐらい入って、なんとか事業を立て直そうと踏ん張りました。ビラ配りをしたり、ワンちゃん連れて行ける公園に営業に行ったり、家賃の値下げ交渉とできることは全てやりましたが、結果につなげることができませんでした。
最後私が1年ぐらい入って、なんとか事業を立て直そうと踏ん張りました。ビラ配りをしたり、ワンちゃん連れて行ける公園に営業に行ったり、家賃の値下げ交渉とできることは全てやりましたが、結果につなげることができませんでした。
ーーー事業建て直しで店舗に入った時は、どんなことを考えていたのですか。
玉江:この出血を止められないと大変なことになると焦っていました。結局、何もできなかったですね。その頃になるとペットショップは本業の利益まで食いつぶして、会社は債務超過状態になっていました。
何をやっても人が動かないんです。その時、「ああ、利益って、めちゃめちゃ大事なんだ」と思いました。
何をやっても人が動かないんです。その時、「ああ、利益って、めちゃめちゃ大事なんだ」と思いました。
ーーーどういうことですか。
玉江:自分の給料が上がらなくても、所属しているチームが発展しているのであれば、人はモチベーション高く仕事ができます。一方で、一生懸命働いても所属しているチームがずっと赤字であれば、何のために仕事をしているのか見失ってしまいます。
利益がでないチームには人間の成長もないのです。
利益がでないチームには人間の成長もないのです。
ーーー事業のチャレンジと撤退が速い社風の御社ですが、10年分の利益を食いつぶして債務超過になってもギリギリのところで粘ってこられた。なにが原動力だったのでしょう?
玉江:これは粘ったというより、やめられなかった、という方が正しいです。やっぱり出来上がったものを撤退するのって、すごい勇気いるじゃないですか。
赤字撤退することは、判断を間違えていた事を宣言するようなものです。今だからいえることなのですが、私の心に、そういう見えないコストを感じる部分がありました。事業の失敗を自分の責任にしたくないという思いです。
結果として銀行さんが貸しはがしに来て、やめざるを得なくなった。結果から考えると、もっと早く撤退した方がよかったですね。
赤字撤退することは、判断を間違えていた事を宣言するようなものです。今だからいえることなのですが、私の心に、そういう見えないコストを感じる部分がありました。事業の失敗を自分の責任にしたくないという思いです。
結果として銀行さんが貸しはがしに来て、やめざるを得なくなった。結果から考えると、もっと早く撤退した方がよかったですね。
ーーーなかなかそこまで正直に自己反省を口にできるものではありません。ご自身ではどのようなことが敗因だったとお考えですか?
玉江:今から考えると、事業の設計が非常に重要なポイントだったと思います。私たちは店舗オープンにあたって、自分たちの理想のお店をつくることばかり考えていました。
お客さんのことを見ていなかったんです。芦屋にお住まいのセレブな方しか買えないようなグッズを並べて、佐井寺でお店やっても、誰も買ってくれません。お客様のニーズからスタートすることが必要でした。
お客さんのことを見ていなかったんです。芦屋にお住まいのセレブな方しか買えないようなグッズを並べて、佐井寺でお店やっても、誰も買ってくれません。お客様のニーズからスタートすることが必要でした。
ーーーセイコーさんとの取引口座が開設されたのは、御社にとって非常に大きな転機になったんですね。どのようなきっかけで特販営業部の部長さんとお会いすることができたんですか?
玉江:これにはストーリーがあるんです。セイコーウオッチには何度も何度も営業をかけていました。あまりにも私がうるさいから、担当者さんに「1回来い」と言っていただけたんです。当時は私金髪だったんですが、その時ばかりは髪の毛全部切って坊主にして東京にお邪魔しました。
東京にお邪魔したまではよかったんですが、その担当さんにはハナから取り合う気がありません。実勢価格は定価の70%ぐらいなのに定価の85%で売ってやるって言うんです。
それですったもんだ話している時に、たまたま部長さんが私と話している担当者を探しに来られた。それで、「大阪から来たんか!何の話してんねん」って私たちの商談に参加してこられたんです。
それで部長さんに一通り会社概要を説明させていただき、私が伝えたのはネットの可能性を熱弁しました。私たちは大阪に本社を構えているけど、東京のお客様の方が多い。日本全国がお客様ですって。それで、うちは時計屋だから、どうしても御社の商品を扱いたい、と。
部長さんは一言、「大阪からわざわざ来はったんや。何とかしたれ」とだけ言って席を立たれました。その一言で現実的な卸値を提示していただくことができたんです。
東京にお邪魔したまではよかったんですが、その担当さんにはハナから取り合う気がありません。実勢価格は定価の70%ぐらいなのに定価の85%で売ってやるって言うんです。
それですったもんだ話している時に、たまたま部長さんが私と話している担当者を探しに来られた。それで、「大阪から来たんか!何の話してんねん」って私たちの商談に参加してこられたんです。
それで部長さんに一通り会社概要を説明させていただき、私が伝えたのはネットの可能性を熱弁しました。私たちは大阪に本社を構えているけど、東京のお客様の方が多い。日本全国がお客様ですって。それで、うちは時計屋だから、どうしても御社の商品を扱いたい、と。
部長さんは一言、「大阪からわざわざ来はったんや。何とかしたれ」とだけ言って席を立たれました。その一言で現実的な卸値を提示していただくことができたんです。
ーーーすごく幸運なお話ですね。担当さんには何回ぐらいアプローチされたんですか?
玉江:メールと電話、合わせると10回以上はアプローチしましたね。
ーーー普通、10回やって対応されなかったら諦めちゃいますよ。
玉江:当時、番頭をしていたスタッフには「やめときましょう、馬鹿にされてますよ」って言われてました。私は、これがなんとか事業の活路を開く取引きになれば、と思って粘り続けました。
ーーーあきらめが悪い社長が呼び込んだ幸運だったのですね。
玉江:はい。最終的には副社長になられた、その時の部長さんは、ずっと気にかけて味方になってくださいました。
でも、正規品のみで勝負しはじめてすぐに上手くいったわけではありません。
当時、お客様がネットに求めるのは並行輸入品で、並行輸入品を扱っている店に抜かれていくんです。後発のお店にどんどん抜かれていきました。
でも、正規品のみで勝負しはじめてすぐに上手くいったわけではありません。
当時、お客様がネットに求めるのは並行輸入品で、並行輸入品を扱っている店に抜かれていくんです。後発のお店にどんどん抜かれていきました。
ーーーそれでも我慢して正規品販売をつづけられたんですね。
玉江:苦労して仕入れ商流を築いたから、ということもありますが、時代が追い付いてくれば必ず正規品も評価されるはずだと思っていました。
実際、しばらくすると市場の様相は変わってきました。Eコマース市場が段々大きくなってくると、メーカーも無視できなくなってきて、インターネット販売に舵を切るようになってきました。
更に、東日本大震災が起こり、Eコマース市場が急激に伸びたことで、ますますネットに注目が集まりました。そこで並行輸入品を販売していない当社の特徴が生きる訳です。「他は並行輸入品を扱っているけど、新流は正規品しかやらないようだ。代理店として信頼できる」と評価いただきました。
実際、しばらくすると市場の様相は変わってきました。Eコマース市場が段々大きくなってくると、メーカーも無視できなくなってきて、インターネット販売に舵を切るようになってきました。
更に、東日本大震災が起こり、Eコマース市場が急激に伸びたことで、ますますネットに注目が集まりました。そこで並行輸入品を販売していない当社の特徴が生きる訳です。「他は並行輸入品を扱っているけど、新流は正規品しかやらないようだ。代理店として信頼できる」と評価いただきました。
ーーー正規品のみを扱い、ブランド価値の毀損しない御社の販売手法が評価されたのですね。
玉江:はい。各メーカーの正規品の受け皿になったことで、一気に売り上げを伸ばすことができました。お客様が増えてネットが大きくなる上に、扱う商材がどんどん増えていったので、毎年、売上の昨年対比は130%や140%で推移していきました
ーーー他社がやらない、正規品のみの販売が評価されたのですね。
玉江:はい。正規品しか扱わない姿勢は多くのメーカーに信頼頂き、専売契約を結ばせていただく事も多いです。
加えてネットの世界ではドメインの古さが大切なんです。ニールのドメインは1999年生まれで非常に古い。それだけで検索の順位が全然変わってきます。レビューの数も売れば売っただけ溜まっていくものなので、長年インターネットの世界で商売を続けてきた私たちの信頼度は新規店舗とは全く違います。そういったことで、マーケットが大きくなった時に一気に伸びたのだと思います
加えてネットの世界ではドメインの古さが大切なんです。ニールのドメインは1999年生まれで非常に古い。それだけで検索の順位が全然変わってきます。レビューの数も売れば売っただけ溜まっていくものなので、長年インターネットの世界で商売を続けてきた私たちの信頼度は新規店舗とは全く違います。そういったことで、マーケットが大きくなった時に一気に伸びたのだと思います
ーーーところで御社のホームページを拝見したのですが、経営理念をとても大切にしておられますね
玉江:ペットショップ事業で経営危機に瀕していた時、顧問の社労士の先生に「そもそも玉江社長がニールという会社で何をしたいかわからん」って言われまして。
「儲かっていないことはいいとして、【何のために】をスタッフも絶対わかってないやろ。」と問われて「企業理念」を作ろうと思いました。
「儲かっていないことはいいとして、【何のために】をスタッフも絶対わかってないやろ。」と問われて「企業理念」を作ろうと思いました。
ーーーなぜ企業理念が必要だと思われたんですか
玉江:事業には「旗」が必要です。当時、本社も通販部隊も、みんな頑張って仕事をしていました。
会社は赤字で給料も上がらないのにも関わらず、必死で仕事してるんです。でも不思議と成果には結びつかない。なんでかなと思って見ていると、一生懸命の方向がそれぞれのスタッフで違うんです。
例えば、自分が良い生活をするためにって頑張っているスタッフもいれば、お客様のためにと思ってるスタッフもいたり。何のために自分たちが販売事業をしているのかが全く一致してない。
彼らは一生懸命頑張っているのに、評価の物差しが「儲け」なので、私は評価してあげることができない。頑張りと評価が全く逆の方向を向いているんですね。そこを正しくするには、どっちを向いて頑張ればいいのかを明確にする必要がありました。そういう理由で、企業理念をつくっていきました
会社は赤字で給料も上がらないのにも関わらず、必死で仕事してるんです。でも不思議と成果には結びつかない。なんでかなと思って見ていると、一生懸命の方向がそれぞれのスタッフで違うんです。
例えば、自分が良い生活をするためにって頑張っているスタッフもいれば、お客様のためにと思ってるスタッフもいたり。何のために自分たちが販売事業をしているのかが全く一致してない。
彼らは一生懸命頑張っているのに、評価の物差しが「儲け」なので、私は評価してあげることができない。頑張りと評価が全く逆の方向を向いているんですね。そこを正しくするには、どっちを向いて頑張ればいいのかを明確にする必要がありました。そういう理由で、企業理念をつくっていきました
ーーーそういうストーリーがあったのですね。経営理念と評価はどのように連動しているのでしょう?
玉江:経営理念に付随して、大切にする価値観を「ニールバリュー」という10か条にまとめました。実はそっちの方が大事だと思っているんですが。。。評価はこの「ニールバリュー」と連動しています。
ーーーこだわりにこだわり抜いた10項目なんでしょうね
玉江:はい、ニールバリューは私一人でつくったんですが、言葉の端々にまでこだわりました。同じこと言っているんですが、この言葉よりこっちの方が伝わるんじゃないか、とか本当に深く練りこみましたね。
ポストイットに書いては、ホワイトボードに貼って、これとこれ、どっちが大事だろうかと順番を決めて。一晩寝て次の日見て、本当に伝わるかな、って考えたり。
ポストイットに書いては、ホワイトボードに貼って、これとこれ、どっちが大事だろうかと順番を決めて。一晩寝て次の日見て、本当に伝わるかな、って考えたり。
ーーーそんな価値観をどのように社員さんに展開されたんですか?
玉江:例えば朝礼で大声で言わせても絶対反発するだけですよね。当社では、毎朝の朝礼の時に持ち回りで、ニールバリューに関連した1分間のスピーチをすることにしました。仕事であった事やニュースで見聞きしたこと、プライベートであったことを、ニールバリューの10項目に当てはめて考えてみることを習慣にしています。
「今日はニールバリューの7番目について話しますっ!」って。今、スタッフは12人いるんですが、毎日やるので2週間に1回は順番が回ってきます。何について喋ろうかなって考える過程で、ニールバリューを見直す習慣ができます。そういう形でニールバリューを思い出してもらいたい、と思いました。
他にも月に1回、職場の飲み会があるんですが、ここでみんなで話し合うんです。項目ごとに、「この項目にはどんな意味があるんだろう」って。そういう深掘りしていく作業を、お酒も飲みながらざっくばらんに話します。
「今日はニールバリューの7番目について話しますっ!」って。今、スタッフは12人いるんですが、毎日やるので2週間に1回は順番が回ってきます。何について喋ろうかなって考える過程で、ニールバリューを見直す習慣ができます。そういう形でニールバリューを思い出してもらいたい、と思いました。
他にも月に1回、職場の飲み会があるんですが、ここでみんなで話し合うんです。項目ごとに、「この項目にはどんな意味があるんだろう」って。そういう深掘りしていく作業を、お酒も飲みながらざっくばらんに話します。
ーーー朝礼で話すのは分かるんですが、飲み会で価値観について徹底的に話すっていうのは凄いですね!
玉江:最初はただ飲むだけの会を継続的にやっていました。飲み会って、どうしても仲の良い人たちだけで喋って終わってしまうじゃないですか。盛り上がるんだけど、勉強にならない。
そうしていると強制的に参加してもらうわけにはいかないので、メンバーが段々決まってくる。それじゃあ会社に成長にはつながらないな、そう思ったんです。
そうしていると強制的に参加してもらうわけにはいかないので、メンバーが段々決まってくる。それじゃあ会社に成長にはつながらないな、そう思ったんです。
ーーー飲み会でニールバリューについて話すようになって変わったことはありましたか?
玉江:それまでは、経理のことはスタッフに見せないようにしていました。しんどい事は共有したらダメだと思っていたんです。ニールバリューを一緒に話せるようになって、みんなとも会社の業績を共有してガラス張りで経営した方が良いのでは、と私自身が思うようになりました。今では経費の使い方まで全部オープンです。
ーーーしんどい事を共有する事って、お互いに信頼関係がないと難しいですよね。
玉江:はい。それから、ちょうど今、2003年より以前から勤めている幹部スタッフと一緒に、新しいバリューを今ちょうど練り直しをはじめたんです。
ーーー最初はお一人で決められたニールバリューを、一緒に練り直しができるほどの信頼関係ができたんですね。経営理念とニールバリューをつくられてから格段に社員さんとの信頼関係が増したことがよくわかりました。そういうことが今の躍進の裏にはあったのですね。
玉江:はい。もう一つ成功の鍵だと思っていることがあるのですが、月1回、前月の経営成績を持ち回りでスタッフが発表する会があるんです。会社の経営状況のデータを、今月はこうでした、先月はこうでしたって話をするんです。
そういう話をするためには、私や他の役員に色々聞かないといけません。「どうしてこの数字が増えたんですか」ってね。それをやると、みんなが数字に敏感になってくるんです。日報を見ても、「このままやったら利益出ないんじゃないか?」とかい言うようになってきます。
そういう話をするためには、私や他の役員に色々聞かないといけません。「どうしてこの数字が増えたんですか」ってね。それをやると、みんなが数字に敏感になってくるんです。日報を見ても、「このままやったら利益出ないんじゃないか?」とかい言うようになってきます。
ーーーお客さんの価値に自分たちの仕事がどうつながっているかがリアルにわかるようになりますね。
玉江:はい。経営成績の数字がお客様が感じる価値そのものですからね。
ーーー社員の皆さんの評価も数字に連動するんですか?
玉江:利益なくして成長なし、がモットーですので、付加価値の10%が賞与にフィードバックされる仕組みになっています。
ーーー付加価値というのは?
玉江:人件費プラス営業利益です。
ーーー人件費プラス営業利益で賞与を出すということは、赤字でも出すっていうことですよね
玉江:そうです。赤字でも出す仕組みです。
ーーーそれは結構な覚悟ですよね。
玉江:そうですね。1人1人が経営者の感覚を持ってほしいなと思っているので、賞与が経営者感覚を磨く機会になればいいですね。
ーーーネット販売事業をやっておられて、社員を歯車として扱っても結果は出せるのに、あえて経営者感覚を磨くことを大事にされていることには理由がありますか?
玉江:ふたつの想いがあります。ひとつは、意思決定の多様性です。1人の頭で考えることのバリエーションって、やっぱり限られてくるんですよ。一人よりも二人、三人で考えた方がよりよい意思決定ができるはずです。
もうひとつは、社員の成長です。彼らが新流をやめて転職した時、「こいつすごいな」って思われてほしいんです。「雇用される力」をしっかりつけてほしい。スキルアップはもちろん大事ですが、心の部分でも、経営者目線を持ってほしい。歯車になってしまったら、歯車が合うとこしか入れないですか。どこでも使える人材になってほしいんです。
もうひとつは、社員の成長です。彼らが新流をやめて転職した時、「こいつすごいな」って思われてほしいんです。「雇用される力」をしっかりつけてほしい。スキルアップはもちろん大事ですが、心の部分でも、経営者目線を持ってほしい。歯車になってしまったら、歯車が合うとこしか入れないですか。どこでも使える人材になってほしいんです。
ーーー今のお話、会社以上に社員が大事だということをおっしゃっているんだと思います。最初は1人で事業をはじめて、社長ができないところは助けてよ、っていう形で人を雇ってきた。それがいつの間にか人の方が目的になっています。会社を大きくしてこられる過程の中で、どこかで社長の考えに変化があったのですね?
玉江:ペットショップ事業から撤退するとき、そこの社員全員を解雇しているんです。そのとき、働きたいと思っている人たちを働かせてあげられなかった。それがずっと心に引っかかっています。
万が一、会社が潰れたとしても、残ったスタッフが、今よりも良い待遇で雇ってもらえるような人間になっておかないといけない。それも私の責任だと思いました。
勿論、会社を守ることは大事なんですが、守りきれるかどうかは時の運の側面もあります。そのときに1人1人がちゃんと雇ってもらえる人になっていてほしい。それが一番大切な事です
万が一、会社が潰れたとしても、残ったスタッフが、今よりも良い待遇で雇ってもらえるような人間になっておかないといけない。それも私の責任だと思いました。
勿論、会社を守ることは大事なんですが、守りきれるかどうかは時の運の側面もあります。そのときに1人1人がちゃんと雇ってもらえる人になっていてほしい。それが一番大切な事です
ーーー御社にとっての「社員の幸せ」は、社員の成長と同義なんですね。
玉江:はい。社員の向こう側にいる家族も含めて生活を守ってあげることは勿論大事です。
でもそれ以上に昨日できなかったことが今日できるようになる、どんどん自分がアップデートされていく感覚、そういう喜びを大切にしています。
例えば、2年前から始めたYouTubeチャンネルは、私含めて3人が動画の編集の学校に行って勉強して作成しています。他にも人事担当スタッフが、キャリコンサルタントの学校に行っていますし、ドッグフードのアドバイザーになろうとしているスタッフや、プログラミングの勉強をしているスタッフがいます
でもそれ以上に昨日できなかったことが今日できるようになる、どんどん自分がアップデートされていく感覚、そういう喜びを大切にしています。
例えば、2年前から始めたYouTubeチャンネルは、私含めて3人が動画の編集の学校に行って勉強して作成しています。他にも人事担当スタッフが、キャリコンサルタントの学校に行っていますし、ドッグフードのアドバイザーになろうとしているスタッフや、プログラミングの勉強をしているスタッフがいます
ーーーすごい成長意欲ですね!
玉江:そうですね。お金は全部会社が出しますし、みんなが色々な学校に行ったりするから「私もなんかやりたい」みたいになるんですよ。
YouTubeも社外の専門家に任せるのではなく、今いるスタッフがスキルアップして自分たちでやることを大事にしています。ゼロから自分たちで作っていく方が、ノウハウも残りますしね。何より、仕事の幅を広げたり、責任を増やすことが、スタッフにとって仕事の喜びに繋がります
YouTubeも社外の専門家に任せるのではなく、今いるスタッフがスキルアップして自分たちでやることを大事にしています。ゼロから自分たちで作っていく方が、ノウハウも残りますしね。何より、仕事の幅を広げたり、責任を増やすことが、スタッフにとって仕事の喜びに繋がります
ーーー仕事が報酬なんですね。
玉江:はい、これからも仕事の幅を広げていきたいと思っています。腕時計販売は私たちの原点としてとても大事にしているのですが、私達の強みは、「販売するノウハウがある」ことなのだと思います。だから、オーガニック食品など、商材を広げていきながらも社会が良くなることに貢献できれば、と思っています。
ーーー玉江社長の社員皆さんの成長に対する想いに、深く感銘を受けました。私たちは60年間ずっと車を売る仕事をしてきたのですが、現在ビジネスモデルの岐路に立たされています。御社と同じく仕事の幅を広げることが現在の大きなテーマなのですが、そんな当社の社員にメッセージを頂けないでしょうか?
玉江:今、クルマの販売は大変革の真っただ中にあります。でもよく考えると、クルマってただのモノじゃないと思うんですよ。時計がただ時間を見る為だけの商品じゃないように、クルマもただ人を運ぶだけのものではありません。所有する満足とか、家族の時間とかそういうコトを売っているんだと思います。
今まで以上に、お客様の人生に影響できる存在になる土壌はすでに御社の中にあると思います。
時計の業界も似たような状況にあるので、今後も情報交換ができたら面白いですね。ぜひ頑張っていただきたいなと思います
今まで以上に、お客様の人生に影響できる存在になる土壌はすでに御社の中にあると思います。
時計の業界も似たような状況にあるので、今後も情報交換ができたら面白いですね。ぜひ頑張っていただきたいなと思います
ーーー本日はありがとうございました。
株式会社 新流
〒561-0872 豊中市寺内2丁目13-57 緑地フレックスビル6F
聞き手:小西敏仁 / 撮影・構成:山本一夫(広報室)
私たちネッツトヨタニューリー北大阪株式会社は1961年の創業以来、 「自分の子供を入れたくなる会社になる」「世代を超えて100年続く」という2つのゴールを掲げ、社員にとって幸せな職場になることを一貫して目指してまいりました。 このコーナーでは従業員を大切に経営されている企業トップにインタビューさせていただき、社員価値の高い企業づくりについて学びます。 真のお客様価値は幸せに働く社員によって生み出される、が私たちの信念です。記事を通して私たちの目指すゴールを多くの方に知って頂ければ幸いです。
ネッツトヨタニューリー北大阪株式会社
代表取締役社長 小西 敏仁