NPO法人キーアセット
様々な事情で実親と暮らすことのできない子どもたちを、家庭に迎え入れて育てる「里親制度」。NPO法人キーアセットは、自治体からの委託を受け、里親になる人を地域で募るところから、研修、子どもとのマッチング、委託後の養育支援までを担う里親支援の専門機関です。
2010年の設立当時、日本では「里親を民間の専門職が支援する」という考え方自体がほとんど知られていませんでした。その中で新しい領域を切り拓いてきたのが、代表の渡邊守(わたなべまもる)さんです。なぜ、そこまで里親支援にこだわるのか。お話を伺っていくと、その原点には、ご自身の両親が里親だった経験、自ら里親になって子どもと暮らした経験、そして今も消えることのない「もっとできたはずだ」という後悔がありました。里親制度のこと、家族のこと、子どもの権利のこと。そして、これから地域社会が担うべき役割についてお話を伺いました。
2010年の設立当時、日本では「里親を民間の専門職が支援する」という考え方自体がほとんど知られていませんでした。その中で新しい領域を切り拓いてきたのが、代表の渡邊守(わたなべまもる)さんです。なぜ、そこまで里親支援にこだわるのか。お話を伺っていくと、その原点には、ご自身の両親が里親だった経験、自ら里親になって子どもと暮らした経験、そして今も消えることのない「もっとできたはずだ」という後悔がありました。里親制度のこと、家族のこと、子どもの権利のこと。そして、これから地域社会が担うべき役割についてお話を伺いました。
「ダメな親だから、子どもが保護される」ではない
ーーーまず、キーアセットさんがどのような活動をされているのか教えていただけますか。
渡邊:法人を設立したのは2010年です。当時、児童虐待という問題はようやく社会的に広く認知されるようになっていました。一方で、保護された子どもたちをその後どう育てていくのかについては、「それは児童相談所の仕事でしょう」「行政の役割でしょう」というところで、社会の思考が止まっていたように思います。
でも、子どもを健やかに育てることは、本当に行政だけの仕事なのか。僕はそうではないと思ったんです。行政のリーダーシップはもちろん必要です。でも、一市民として、一つの地域として、子どもの育ちを支える責任がある。その方法の一つとして、里親家庭というものを地域に増やし、そこで子どもたちを育んでいく仕組みをつくりたいと思いました。
今は、地域の中から新しい里親さんを募り、実際に子どもを迎えた後の養育を支援する。そして同時に、その子どもの実親を含めた家族の支援にも取り組んでいます。
でも、子どもを健やかに育てることは、本当に行政だけの仕事なのか。僕はそうではないと思ったんです。行政のリーダーシップはもちろん必要です。でも、一市民として、一つの地域として、子どもの育ちを支える責任がある。その方法の一つとして、里親家庭というものを地域に増やし、そこで子どもたちを育んでいく仕組みをつくりたいと思いました。
今は、地域の中から新しい里親さんを募り、実際に子どもを迎えた後の養育を支援する。そして同時に、その子どもの実親を含めた家族の支援にも取り組んでいます。
ーーー里親を必要とする子どもと聞くと、どうしても「虐待された子ども」というイメージが先に立ちます。
渡邊:そこは非常に慎重にお伝えしたいところです。「虐待する悪い親がいて、そこから子どもを救う」という構図にすると、とても分かりやすいんです。でも実際の養育の難しさは、もっと複雑です。
例えば、知らない土地に夫婦で引っ越してきた。近所に親族も友人もいない。夫は仕事で家を空けることが多く、妻が二人目を妊娠して体調を崩した。そうすると、上の子を十分に養育する人の手がなくなることがあります。
そこで親御さんが「しんどいです」と相談できれば、一時的に子どもを保護するということもできます。でも相談できず、自分たちだけで何とかしようとして限界を迎えれば、学校や近隣からの通告をきっかけに介入することもあります。
もちろん、身体的な虐待、心理的虐待、子どもの前でパートナーに暴力を振るう面前DVなど、明確な虐待によって保護されるケースもあります。ただ、「ダメな親だから子どもが保護される」と捉えると、本質を見失います。
例えば、知らない土地に夫婦で引っ越してきた。近所に親族も友人もいない。夫は仕事で家を空けることが多く、妻が二人目を妊娠して体調を崩した。そうすると、上の子を十分に養育する人の手がなくなることがあります。
そこで親御さんが「しんどいです」と相談できれば、一時的に子どもを保護するということもできます。でも相談できず、自分たちだけで何とかしようとして限界を迎えれば、学校や近隣からの通告をきっかけに介入することもあります。
もちろん、身体的な虐待、心理的虐待、子どもの前でパートナーに暴力を振るう面前DVなど、明確な虐待によって保護されるケースもあります。ただ、「ダメな親だから子どもが保護される」と捉えると、本質を見失います。
ーーー虐待を肯定するわけではないけれど、その行為の背景まで見ないといけないということですね
渡邊:そうです。どんな事情があっても、子どもの権利や人権を侵害していいわけではありません。不適切な養育を肯定することはできません。ただ、虐待をすることを目的に子どもを産む親はいないと思うんです。何かの事情があって、そこまで追い込まれている。
貧困かもしれない、社会的な孤立かもしれない、 失業かもしれない、夫婦関係かもしれない、依存症かもしれない・・・・それぞれ事情は違いますが、何かがある。そこまで含めて家族を見る必要があるのです。
貧困かもしれない、社会的な孤立かもしれない、 失業かもしれない、夫婦関係かもしれない、依存症かもしれない・・・・それぞれ事情は違いますが、何かがある。そこまで含めて家族を見る必要があるのです。
家庭だけで子どもを育てることが、難しい時代になった
ーーーお話の中で「家庭力が低下している」という言葉がありました。それはどういう意味でしょうか。
渡邊:単純に、子ども一人にかけられる「大人の手」が減っています。子どもを健やかに育てようと思えば、時間もエネルギーも必要です。
30年、40年前の家庭には、専業主婦がいて、祖父母が近くにいて、親族もいたという家庭が今より多かった。昔の家族の方が優れていたという話ではありません。でも、子どもに使える大人の時間と手の数という意味では、今より多かった家庭も多いわけです。
今は共働きが当たり前です。核家族で、親族や地域とのつながりが希薄な家庭も多い。親一人、夫婦二人だけで、仕事も家事も子育ても全部担う。
それを考えると、家庭単体で子どもを育てきることは確実に難しくなっています
30年、40年前の家庭には、専業主婦がいて、祖父母が近くにいて、親族もいたという家庭が今より多かった。昔の家族の方が優れていたという話ではありません。でも、子どもに使える大人の時間と手の数という意味では、今より多かった家庭も多いわけです。
今は共働きが当たり前です。核家族で、親族や地域とのつながりが希薄な家庭も多い。親一人、夫婦二人だけで、仕事も家事も子育ても全部担う。
それを考えると、家庭単体で子どもを育てきることは確実に難しくなっています
ーーーだから「家庭の問題は家庭で解決してください」ではもう成り立たない。
渡邊:そう思います。児童福祉の考え方でも、まず保護者に責任がある。でも、その次には国や地方公共団体にも責任がある。
その地方公共団体をつくっているのは、結局私たち一人ひとりですよね。「親ガチャ」という言葉が一時期ありましたけど、いい親のもとに生まれたかどうかだけで人生が決まるような社会って、本当に豊かな社会なのか。
仮にその子にとって望ましい親ではなかったとしても、地域社会との出会いによって、その子がその子らしく育つことができる。そこに地域が責任を持つ。僕は、そういう社会にしていきたいと思っています。
その地方公共団体をつくっているのは、結局私たち一人ひとりですよね。「親ガチャ」という言葉が一時期ありましたけど、いい親のもとに生まれたかどうかだけで人生が決まるような社会って、本当に豊かな社会なのか。
仮にその子にとって望ましい親ではなかったとしても、地域社会との出会いによって、その子がその子らしく育つことができる。そこに地域が責任を持つ。僕は、そういう社会にしていきたいと思っています。
里親は「我が子のように最後まで育てる人」だけではない
ーーー私自身、里親と聞くと、一度子どもを迎えたら長期間、自分の子どものように育てるイメージを持っていました。
渡邊:昔は、今よりずっとそういう制度でした。現在は、子どもはまず実親家庭で育つことができるよう支援する。というのが原則で、一時的に親子を分離し、別の家庭環境で育てるのが里親制度です。
だから、3か月だけという場合もあるし、それが6か月になる場合もある。6か月の予定が2年になることもあります。子どもにとって、たとえ不適切な養育をした親であっても、その親は人生の一部です。だから、可能であれば親子の関係を再構築していく。それが優先です。
ただし、何が何でも親元に戻すということではなく、子供の利益を一番に考えて子供の環境を選択します。
だから、3か月だけという場合もあるし、それが6か月になる場合もある。6か月の予定が2年になることもあります。子どもにとって、たとえ不適切な養育をした親であっても、その親は人生の一部です。だから、可能であれば親子の関係を再構築していく。それが優先です。
ただし、何が何でも親元に戻すということではなく、子供の利益を一番に考えて子供の環境を選択します。
子どもの「問題行動」には、必ず何か理由がある
ーーー 一時的に家庭環境を変えなければいけない子どもを家庭で育てるとなると、里親さんにもかなり専門的な力が必要になりますよね。
渡邊:そうなんです。子どもたちのニーズは非常に多様です。水を極端に怖がる。爪を自分で切れない。先の尖ったものを異常に怖がる。
その子がこれまでにどんな経験をしてきたのか、里親は全部知っているわけではありません。だから、目の前に表れている行動から、「なぜこの子はこうするんだろう」と一緒に考えていく必要があります。
例えば、ある時「この子はいつも暴れるんです」と里親さんから相談を受けました。詳しく聞いていくと、本当に「いつも」なのかとなる。そうやって一つずつ聞いていったら、木曜日の夜に暴れることが多いと分かった。
では、なぜ木曜日なのか。学校とも話をしていくと、金曜日の朝に音楽の授業がある。本人は歌うことがすごく苦手で、その授業が嫌で嫌で仕方なかった。
でも本人は、それをうまく言葉にできない。だから金曜日が近づくにつれてフラストレーションがたまり、木曜日の夜に家で爆発する。そこまで分かれば、「暴れないようにさせる」という話ではなくなりますよね。
その子がこれまでにどんな経験をしてきたのか、里親は全部知っているわけではありません。だから、目の前に表れている行動から、「なぜこの子はこうするんだろう」と一緒に考えていく必要があります。
例えば、ある時「この子はいつも暴れるんです」と里親さんから相談を受けました。詳しく聞いていくと、本当に「いつも」なのかとなる。そうやって一つずつ聞いていったら、木曜日の夜に暴れることが多いと分かった。
では、なぜ木曜日なのか。学校とも話をしていくと、金曜日の朝に音楽の授業がある。本人は歌うことがすごく苦手で、その授業が嫌で嫌で仕方なかった。
でも本人は、それをうまく言葉にできない。だから金曜日が近づくにつれてフラストレーションがたまり、木曜日の夜に家で爆発する。そこまで分かれば、「暴れないようにさせる」という話ではなくなりますよね。
ーーー「暴れる子」ではなく、「金曜日の音楽の授楽が嫌で、それを表現できない子」になる。
渡邊:そうなんです。原因が変われば、対応の方法も全く変わってきますよね。こういった形で伴走支援を行うことが私たちの仕事です。
私たち専門職は、里親さんから相談いただく、子供の成育情報を一緒に紐解き、必要に応じて学校や専門家、地域資源につないでいく。
それが里親支援です。
私たち専門職は、里親さんから相談いただく、子供の成育情報を一緒に紐解き、必要に応じて学校や専門家、地域資源につないでいく。
それが里親支援です。
「うちの親が、全部悪かった」で終わらせたくなかった
ーーー渡邊さんが里親支援の必要性に思い至った背景について教えてください。
渡邊:そうですね。実は僕が18歳の時に、両親が里親になったんです。僕、大反対したんですよ。「自分をこんなふうにしか育てられなかった人間が、人様の子どもを育てちゃダメだろう」って(笑)。
ーーーご両親にはどういう思いを持っておられたんですか。
渡邊:両親にはとても愛されたとは思います。ただ、父親が牧師だったこともあって、父も母も宗教活動にものすごく一生懸命でした。
教会員さんには一生懸命関わる。でも、我が子のことはほったらかし。父親と一緒に何かした思い出って、ほとんどないんですよ。一度フラワーパークに連れて行ってもらったことくらいしか覚えていない。
だから、こんなに自分たちの子どもをほったらかしてきた親が、また人の子どもを預かって大丈夫なのか、と思いました。
教会員さんには一生懸命関わる。でも、我が子のことはほったらかし。父親と一緒に何かした思い出って、ほとんどないんですよ。一度フラワーパークに連れて行ってもらったことくらいしか覚えていない。
だから、こんなに自分たちの子どもをほったらかしてきた親が、また人の子どもを預かって大丈夫なのか、と思いました。
ーーー実際にご両親が里親になられて、どうだったのでしょう。
渡邊:最初に里親になった3人の兄弟は、すごくうまくいったんです。教会員さんたちもみんなで支えてくれて、半年程度の里親期間の間に子どもたちがすごく元気になった。そして、家庭復帰することができた。
それが両親にとって大きな成功体験になって、その後も里親を続けました。でも、横で見ていると色々ありました。都合のいい時には「うちの子」と言う。都合が悪くなると「この子は里子だから」と言う。
子どもの声を聞かずに、大人側の都合で進学やクラブ活動、アルバイトを決めてしまう。学校へ行かないとか、物を壊すとか、お金を盗るとか、そういう行動に対しても、「なぜそうするのか」という理解より前に、叱りつけて管理しようとしていた。
それが両親にとって大きな成功体験になって、その後も里親を続けました。でも、横で見ていると色々ありました。都合のいい時には「うちの子」と言う。都合が悪くなると「この子は里子だから」と言う。
子どもの声を聞かずに、大人側の都合で進学やクラブ活動、アルバイトを決めてしまう。学校へ行かないとか、物を壊すとか、お金を盗るとか、そういう行動に対しても、「なぜそうするのか」という理解より前に、叱りつけて管理しようとしていた。
ーーー子どもの気持ち以上に、「自分がこう育てたい」という思いの方が強かった。
渡邊:そうですね。完璧な親なんていないので、欠点だらけでいいと思うんです。
でも、その子を一人の人間として認める。その子らしさを認める。それは、里親か実親かに関係なく必要だと思っています。
うちの親の場合、それができたりできなかったりした。だから「うちの親の能力が足りなかった」で全部片付けていいのかな、と後になって思ったんです
でも、その子を一人の人間として認める。その子らしさを認める。それは、里親か実親かに関係なく必要だと思っています。
うちの親の場合、それができたりできなかったりした。だから「うちの親の能力が足りなかった」で全部片付けていいのかな、と後になって思ったんです
「無理だ」と言われた児童福祉の大学院へ
ーーーそんな原体験があったのですね。具体的に
渡邊:僕はもともと電気設備メーカーの営業をしたり、車椅子や福祉用具、住宅改修の営業をしたりしていました。32歳ぐらいの時に、妻が「本物のソーシャルワークを勉強したい」と言って一オーストラリアへ行くことになりました。
僕も仕事を辞めて、オーストラリアで一緒に勉強することにしました。最初は、高齢者福祉か障害者福祉でも勉強しようと思っていました。
でも色々調べてみると、日本の高齢者福祉や障害者福祉って国際的に見ても決して悪くない。一方で、とんでもなく遅れている事もありました。児童福祉です。それで児童福祉を勉強することにしたんです。
僕も仕事を辞めて、オーストラリアで一緒に勉強することにしました。最初は、高齢者福祉か障害者福祉でも勉強しようと思っていました。
でも色々調べてみると、日本の高齢者福祉や障害者福祉って国際的に見ても決して悪くない。一方で、とんでもなく遅れている事もありました。児童福祉です。それで児童福祉を勉強することにしたんです。
ーーー全くの門外漢からのスタート、ご苦労も多かったのでは?
渡邊:大前提の英語すら全然しゃべれませんでした(笑)。最初に入った語学学校でも一番下のクラス。言質の大学院で学ぶことは、当時の私にとって高いハードルでした。
語学学校の先生に言われた言葉が印象に残っています。「私はここで2年半教えているけど、この一番下のクラスから大学に行った生徒は一人もいない」
僕、嬉しかったんですよ。今までいろんな人に無理だと言われてきましたが、先生は「お前には無理だ」と言わなかったんです。「今まで一人もいない」という事実を言っただけ。「一人もいないだけで、無理とは言ってないやん」と思ってしまいました(笑)。
いろんな人に助けてもらいながら大学院へ進んで、そこで子どもの権利や人権、児童福祉について学びました。その経験が、今の僕の考え方を支えています。
語学学校の先生に言われた言葉が印象に残っています。「私はここで2年半教えているけど、この一番下のクラスから大学に行った生徒は一人もいない」
僕、嬉しかったんですよ。今までいろんな人に無理だと言われてきましたが、先生は「お前には無理だ」と言わなかったんです。「今まで一人もいない」という事実を言っただけ。「一人もいないだけで、無理とは言ってないやん」と思ってしまいました(笑)。
いろんな人に助けてもらいながら大学院へ進んで、そこで子どもの権利や人権、児童福祉について学びました。その経験が、今の僕の考え方を支えています。
自分が里親になって、初めて「支援がない」怖さを知った
ーーー大学院卒業後はどうされたのですか?
渡邊:ちょうど日本に帰国した時、うちの親のところにいた里子の高校生の男の子が、「一分一秒でも早くこの家から出たい」と言っていたんです。
母親は逆で、「死んでもこの子を最後まで育てる」と言っている。
本人と話して、今の家を出るメリット、デメリットを紙に全部書きました。学校を転校しないといけないかもしれない。友人とも離れる。アルバイトもなくなる。進学にも影響するかもしれない。それでも本人は「出たい」と言う。
母親は逆で、「死んでもこの子を最後まで育てる」と言っている。
本人と話して、今の家を出るメリット、デメリットを紙に全部書きました。学校を転校しないといけないかもしれない。友人とも離れる。アルバイトもなくなる。進学にも影響するかもしれない。それでも本人は「出たい」と言う。
ーーー何がそこまで嫌だったのでしょう。
渡邊:家庭の文化と彼の文化が合わなかったんですよね。17歳ですから、自分で決めたいこともいっぱいある。若者なりの文化もある。でも母親は、自分の価値観に合わないものを受け入れるのが苦手だった。彼はずっと我慢していたけれど、もう無理だった。
ただ、彼の行き先がない。困っていたら、妻が、「あんたが里親になったらええやん」って言ってくれました。それで僕自身が里親になることになりました。
ただ、彼の行き先がない。困っていたら、妻が、「あんたが里親になったらええやん」って言ってくれました。それで僕自身が里親になることになりました。
ーーー初めての里親経験はどうでしたか?
渡邊:めちゃくちゃ孤立しました。オーストラリアでは、里親になるのに研修があるし、支援する専門機関もある。それが当たり前だと思って帰ってきた。
でも当時の日本では、僕は十分な研修もないまま里親になりました。何かあったら連絡してくださいと言われる。
でも、「何か」が起きてからでは遅いんですよ。日々、「この判断でいいのかな」「今、この子にどう関わるのがいいんだろう」と悩む。その時に一緒に考えてくれる人がいなかった。今振り返れば、間違った判断ばかりでした。
でも当時の日本では、僕は十分な研修もないまま里親になりました。何かあったら連絡してくださいと言われる。
でも、「何か」が起きてからでは遅いんですよ。日々、「この判断でいいのかな」「今、この子にどう関わるのがいいんだろう」と悩む。その時に一緒に考えてくれる人がいなかった。今振り返れば、間違った判断ばかりでした。
明け方まで「話すのを待った」ことを、今も後悔している
ーーー具体的に、今でも後悔されていることはありますか。
渡邊:非常に印象に残っている事があります。2人目に里親として預かった、高校生の女の子がいます。彼女は何か注意されると、石みたいな表情になって、何も言わなくなる。
僕は、「なんでそうしたの?言葉で言って」と言う。でも答えない。そこで、「じゃあ分かった。言えるまで待つわ」って、本当に明け方まで待ったことがあるんです。
僕は、「なんでそうしたの?言葉で言って」と言う。でも答えない。そこで、「じゃあ分かった。言えるまで待つわ」って、本当に明け方まで待ったことがあるんです。
ーーー当時は「話したくなるまで待ってあげている」という感覚だったんですか?
渡邊:そうなんです。実際、明け方には話してくれたんですね。でも僕は「話したくなるまで待つ」つもりだったんですが、本人からしたら「話すまで終わらせない」という強い圧力ですよね。怖かったと思います。
当時は、他の方法が考えられなかった。そして、「これってどうなんでしょう」と相談できる人もいなかった。
当時は、他の方法が考えられなかった。そして、「これってどうなんでしょう」と相談できる人もいなかった。
ーーー普通は話してくれた時点で問題が解決したと思ってしまいます。なぜその時の対応が間違っていたと思ったのですか?
渡邊:彼女と一緒に暮らしたのは30か月だけなのですが、自立してからも今でも盆や正月には帰ってきて、ずっと付き合ってくれています。
その長い関係の中で、彼女が自分の過去を少しずつ話してくれるようになったんです。そこで初めて、僕は「そんな経験をしていたのか」と知ることになりました。
一緒に住んでいた当時は、反抗的だな、表情が暗いな、感謝しないな、こっちと交わろうとしないな、好き勝手しよるな、と思っていた。でも、それには全部理由があった。
その長い関係の中で、彼女が自分の過去を少しずつ話してくれるようになったんです。そこで初めて、僕は「そんな経験をしていたのか」と知ることになりました。
一緒に住んでいた当時は、反抗的だな、表情が暗いな、感謝しないな、こっちと交わろうとしないな、好き勝手しよるな、と思っていた。でも、それには全部理由があった。
ーーーその背景を知ることで、当時の自分の関わり方の見え方が変わったのですね?
渡邊:全然変わりました。「そんな過酷な子ども時代を過ごしてきたのに、うちみたいなところに来て、よう頑張ったな。よう辛抱したな」
彼女の背景を知って、当時の自分の対応を振り返ると「ごめんな」しかないです。それでも、今も「ただいま」と帰ってきてくれる。
たった30か月ですよ。30か月しか一緒に暮らしていないのに、彼女の人生の一部に入れてもらえた。彼女には教えてもらう事ばかりです。
彼女の背景を知って、当時の自分の対応を振り返ると「ごめんな」しかないです。それでも、今も「ただいま」と帰ってきてくれる。
たった30か月ですよ。30か月しか一緒に暮らしていないのに、彼女の人生の一部に入れてもらえた。彼女には教えてもらう事ばかりです。
仕事がない2年間。「マーケットがないなら、つくらないといけない」
ーーーそこから、民間の里親支援を事業として立ち上げていくことになるんですね。
渡邊:はい。「子供の未来に資する里親制度を」、そんな思いで、まずは海外の仕組みを調べ、国際的な里親関係者のネットワークにも関わるようになりました。
その中で、英国で民間の里親支援を行っていたグループの方と出会って、「日本で民間による里親支援事業が成り立つか調べてみろ」と機会をいただいたんです。
調査してみると、法律的にも民間が里親支援をすることは可能だった。「だったらやってみろ」と背中を押していただき、2010年に法人を設立しました。
その中で、英国で民間の里親支援を行っていたグループの方と出会って、「日本で民間による里親支援事業が成り立つか調べてみろ」と機会をいただいたんです。
調査してみると、法律的にも民間が里親支援をすることは可能だった。「だったらやってみろ」と背中を押していただき、2010年に法人を設立しました。
ーーー里親支援という枠組みそのものがない中での起業は、相当ご苦労があったのではないでしょうか。
渡邊:はい。最初は全く仕事がなかったです(笑)。
2010年に事務所を借りて、最初にちゃんと仕事をもらったのは2012年です。厚生労働省や自治体を回って、「民間の里親支援が必要です」と言い続けました。
当時は、「里親を民間が支援する?そんなことできるわけないでしょう」そんな反応が大半でした。
2010年に事務所を借りて、最初にちゃんと仕事をもらったのは2012年です。厚生労働省や自治体を回って、「民間の里親支援が必要です」と言い続けました。
当時は、「里親を民間が支援する?そんなことできるわけないでしょう」そんな反応が大半でした。
ーーー私も経営をしているので、その苦しみはよくわかります。普通なら、2年間仕事がなかったら「そもそもマーケットがなかった」とあきらめてしまうところを粘れた理由は何なのでしょうか
渡邊:そうですよね。僕は、マーケットをつくることが使命だと思っていました。民間が参入すれば、そこに優秀な人材が入ってくる。お金が流れる。お金が流れれば社会的な注目が集まる。注目が集まれば、いい加減な仕事はできなくなる。そして成果を問われる。
成果って、本来「子どもがどう育ったか」ですよね。親元から保護された子どもたちは、社会的に大きな声を持ちません。その子たちがどう育っているのか、これまで社会はほとんど注目してこなかった。
だから、お金も流れる市場をつくることで彼らの声を聞いてもらえる社会ができる。そこに意味があると思ったんです。当時は、とにかくやり切ることしか考えていませんでした。
成果って、本来「子どもがどう育ったか」ですよね。親元から保護された子どもたちは、社会的に大きな声を持ちません。その子たちがどう育っているのか、これまで社会はほとんど注目してこなかった。
だから、お金も流れる市場をつくることで彼らの声を聞いてもらえる社会ができる。そこに意味があると思ったんです。当時は、とにかくやり切ることしか考えていませんでした。
命をかけても報われない
ーーー本当に(笑)。使命感だけで真っ暗な道のりを2年間も走れないと思います。
渡邊:それは母が理由かもしれません。母はずっと、「命に代えてもこの子たちを育てる」と言っていました。
命に代えても、と言う言葉は単なる比喩ではなかったと思います。実際、体調は限界でした。持病もあったし、里親活動をはじめて、しばらくして亡くなりました。母なりに、本当に命をかけて養育していたと思います。
でも僕は、里親活動に、命なんかかけなくていい、と思うんです。
命に代えても、と言う言葉は単なる比喩ではなかったと思います。実際、体調は限界でした。持病もあったし、里親活動をはじめて、しばらくして亡くなりました。母なりに、本当に命をかけて養育していたと思います。
でも僕は、里親活動に、命なんかかけなくていい、と思うんです。
ーーー想いのこもった言葉ですね。
渡邊:命をかけるほど頑張ったら、それで子どもが幸せになるのか。必ずしもそうじゃない。
親や里親がどれだけ犠牲を払ったかではなくて、その結果が子どもの利益になったのかが大事なんです。
母親はものすごく頑張った。でも、子どもは「一分一秒でも早くここから出たい」と思っていた。
そんな悲劇はもう見たくありません。
母は…… 里親は必ず何らかの負担を引き受けます。その犠牲が、結果として子どもの人生のマイナスになるなんて、絶対にダメだと思った。愛する母の人生を肯定したい、そういう想いが、手ごたえのない暗闇の2年間を支えました。
親や里親がどれだけ犠牲を払ったかではなくて、その結果が子どもの利益になったのかが大事なんです。
母親はものすごく頑張った。でも、子どもは「一分一秒でも早くここから出たい」と思っていた。
そんな悲劇はもう見たくありません。
母は…… 里親は必ず何らかの負担を引き受けます。その犠牲が、結果として子どもの人生のマイナスになるなんて、絶対にダメだと思った。愛する母の人生を肯定したい、そういう想いが、手ごたえのない暗闇の2年間を支えました。
0から1をつくる。その先は、自分より得意な人に渡す
ーーーそして2年後に初めて仕事をもらえたと。
渡邊:はい。ここまでの歩みの中で、子ども家庭分野に、ソーシャルワーカーが専門職として地域に貢献できるマーケットをつくることはできました。今は里親支援センターという制度もできて、全国で担い手が生まれています。「僕がつくった」なんてことは全然言えませんが、きっかけの一つはつくれたかなと思っています。
ーーーこれからの展望について教えてください。
渡邊:僕、自分が0から1をつくる方は得意なんだと思います。何にもないところから、「そんなのできるわけないやん」と言われた何かをつくる。その熱意には自信があります。
でも、1を10に磨き上げたりすることは、僕より上手い人がいっぱいいるんです。だから、これからはそういう人たちに事業を渡していかないといけない。
でも、1を10に磨き上げたりすることは、僕より上手い人がいっぱいいるんです。だから、これからはそういう人たちに事業を渡していかないといけない。
ーーー創業者は、自分と会社を同一視してしまうこともありますよね。
渡邊:僕はキーアセットが大好きです。自分でつくった法人ですから、本当に愛している。だからこそ、自分の届かないところまで成長してほしい。だからいつまでも居座る経営者にはなりたくない(笑)。
僕一人の力で成し遂げたものなんて、振り返っても一つもないんです。「これをやりたい」という意思に、たくさんの人が賛同して力を貸してくれた。だったら、「これからも僕がやらなければ」と考えることの方が、キーアセットの未来にとって不適切なのでは、と思っています。
僕一人の力で成し遂げたものなんて、振り返っても一つもないんです。「これをやりたい」という意思に、たくさんの人が賛同して力を貸してくれた。だったら、「これからも僕がやらなければ」と考えることの方が、キーアセットの未来にとって不適切なのでは、と思っています。
里親支援の先にあるのは、「家族を支える社会」
ーーー渡邊さんがご自身の役割として設定しておられる次の0-1のテーマはなんでしょうか?
渡邊:子どもたちの本来の家族への支援です。地域の子育て支援は、どうしても「一般的な家庭」をイメージしてつくられています。でも実際には、シングルペアレントもいる。貧困家庭もある。外国人家庭もある。障害のある人がいる家庭もある。犯罪被害を受けた人がいる家庭もある。宗教的な文化を持つ家庭もある。
そういう、多数派のイメージから外れた家庭には、既存の子育て支援が届きにくい里親家庭の皆さんであれば、必要な支援を積極的に伝えてくれます。自分たちは子供の為にやっている、という強い確信があるからです。
でも多くのマイノリティー家庭の皆さんは、「家庭のことは家庭で何とかしろ」という社会の圧力の中で、なかなか声を上げられないでいるのです。
僕は里親支援をやってきた経験から、多様なマイノリティー家庭に届くような地域の子育て支援をつくりたいと思っています。本当は、子どもが保護されなくて済むのが一番いい。
そういう、多数派のイメージから外れた家庭には、既存の子育て支援が届きにくい里親家庭の皆さんであれば、必要な支援を積極的に伝えてくれます。自分たちは子供の為にやっている、という強い確信があるからです。
でも多くのマイノリティー家庭の皆さんは、「家庭のことは家庭で何とかしろ」という社会の圧力の中で、なかなか声を上げられないでいるのです。
僕は里親支援をやってきた経験から、多様なマイノリティー家庭に届くような地域の子育て支援をつくりたいと思っています。本当は、子どもが保護されなくて済むのが一番いい。
ーーーなぜ現在そういった支援制度が充実していないのでしょう?
渡邊:例えば、経済的な理由で子どもを育てることが難しくなっているお母さんがいたとします。そこに直接支援することは、「ダメ親に、なんで税金を使うんだ」という声がハードルになるのです。
実は世界の児童福祉先進国の歴史を見ても、最初から家庭への直接支援は行われていません。まず家庭での虐待が社会問題になる。子供の保護施設ができる。次に、子どもを保護した施設でも問題が起きていることが分かる。そこで里親制度ができる。支援がない里親家庭が疲弊する。里親支援にお金を使う…
ここまで来て初めて「こんなに長期間里親家庭で育てるより、安全に実親家庭へ戻れるよう支援した方がいい」という話になって、家族再統合にお金をかけはじめる。
そして最後に、「だったら最初から、保護しなくて済むよう家族を支援した方がいいんじゃないか」となるんです。日本もようやく、家庭支援の端緒に立っているフェーズだと思います。
今年、キーアセットも豊中でも児童家庭支援センターを開設する予定です。その目的は、子どもが保護される前から家族を支援することです。僕は、そこにこれからの大きな可能性があると思っているのです。
実は世界の児童福祉先進国の歴史を見ても、最初から家庭への直接支援は行われていません。まず家庭での虐待が社会問題になる。子供の保護施設ができる。次に、子どもを保護した施設でも問題が起きていることが分かる。そこで里親制度ができる。支援がない里親家庭が疲弊する。里親支援にお金を使う…
ここまで来て初めて「こんなに長期間里親家庭で育てるより、安全に実親家庭へ戻れるよう支援した方がいい」という話になって、家族再統合にお金をかけはじめる。
そして最後に、「だったら最初から、保護しなくて済むよう家族を支援した方がいいんじゃないか」となるんです。日本もようやく、家庭支援の端緒に立っているフェーズだと思います。
今年、キーアセットも豊中でも児童家庭支援センターを開設する予定です。その目的は、子どもが保護される前から家族を支援することです。僕は、そこにこれからの大きな可能性があると思っているのです。
家庭とは、その人が無意識に身につけている「文化」
ーーー 一方で、そもそも子育てに向いていない家庭があるのでは、という価値観も強くあるように感じます。
渡邊:僕が里親や事業を通じて強く実感している事は、家庭の文化が変わらないことは、子供の成育にとって、とても大きな財産だということです。
僕自身、北海道で生まれて、その後、静岡、千葉、沖縄、愛知と色んな地域で生活しました。地域の文化は何度も変わりましたが、家庭の文化はずっと同じだったんです。それが、自分の精神的な安定につながったのだと今は思います。
僕自身、北海道で生まれて、その後、静岡、千葉、沖縄、愛知と色んな地域で生活しました。地域の文化は何度も変わりましたが、家庭の文化はずっと同じだったんです。それが、自分の精神的な安定につながったのだと今は思います。
ーーー社会的養護の子どもたちは、その「当たり前の文化」が何度も変わることがある?
渡邊:多くの里親家庭で、里親家庭の色に子どもを染めようとして、衝突が起こることが良くあります。子供に合わせすぎて、元の家庭の文化が変わってしまうケースもあります。一度伸びたゴムは、完全には元には戻らない。家庭も同じです。
この人は今機嫌がいいのか悪いのか。何をしたら怒るのか。この家では何が普通なのか。僕らは自分の親の顔を見れば、今日機嫌がいいか悪いかなんて自然に分かるでしょう。いつから分かるようになったのかなんて覚えていない。
新しい環境ではそれが分からない。子供は環境が変わる度に、新しい大人の顔色を見ることになる。情緒的なつながりをゼロからつくらないといけないんです。それは、ものすごく大変なことです。
この人は今機嫌がいいのか悪いのか。何をしたら怒るのか。この家では何が普通なのか。僕らは自分の親の顔を見れば、今日機嫌がいいか悪いかなんて自然に分かるでしょう。いつから分かるようになったのかなんて覚えていない。
新しい環境ではそれが分からない。子供は環境が変わる度に、新しい大人の顔色を見ることになる。情緒的なつながりをゼロからつくらないといけないんです。それは、ものすごく大変なことです。
ーーーご自身が明け方まで子どもの答えを待ったことも、今振り返ると、「自分の文化に染めようとしていた」と。
渡邊:そうですね。「この子が答えられるまで待ってあげる」って、当時は思っていました。でも、「僕のやり方を受け入れるまで、僕は待つ」とも言える。自分は変わろうとしていないんですよね。
「この子にとって、どうなのか」
ーーー今日お話を聞いていて、一貫しているのは「その子にとってどうなのか」という視点だと感じました。
渡邊:そうですね。僕自身、里親として沢山悩んできました。母親も、命をかけるほど頑張った。でも、大人が頑張ったから正しい、ではないんです。制度上正しいから、それでいいわけでもない。
「この子にとって、どうなのか」その1点が重要なのだと思います。
ただ、その問いを親一人、里親一人に背負わせると、また同じことが起きます。だから専門職も、行政も、地域も一緒に考える。子どもの問題行動だけを見るのではなく、その背景を見る。不適切な養育だけを見るのではなく、その親がなぜそこまで追い込まれたのかを見る。里親の失敗だけを見るのではなく、その里親が孤立していなかったかを見る。
そうやって、子どもを真ん中に置いて地域全体で育てていける社会にしていく。僕らがやりたいのは、「この子にとってどうなのか」を考える社会づくりです。
「ダメ親になぜ税金を?」ではなく子供を主語に、「この家庭に何があれば、この子はここで安全に育つことができるんだろう」そう考えていける社会にしていきたいと思います。
「この子にとって、どうなのか」その1点が重要なのだと思います。
ただ、その問いを親一人、里親一人に背負わせると、また同じことが起きます。だから専門職も、行政も、地域も一緒に考える。子どもの問題行動だけを見るのではなく、その背景を見る。不適切な養育だけを見るのではなく、その親がなぜそこまで追い込まれたのかを見る。里親の失敗だけを見るのではなく、その里親が孤立していなかったかを見る。
そうやって、子どもを真ん中に置いて地域全体で育てていける社会にしていく。僕らがやりたいのは、「この子にとってどうなのか」を考える社会づくりです。
「ダメ親になぜ税金を?」ではなく子供を主語に、「この家庭に何があれば、この子はここで安全に育つことができるんだろう」そう考えていける社会にしていきたいと思います。
ーーー里親支援という一つの仕事から始まり、「地域で家族を支えるとはどういうことか」ということを考えさせられました。本日は長時間、本当にありがとうございました。
NPO法人キーアセット
2010年設立。様々な事情により実親家庭で暮らすことのできない子どもたちが、家庭環境と地域社会の中で健やかに育つことのできる環境づくりを目的に活動。自治体等から委託を受け、里親のリクルート、アセスメント、研修、委託後の支援など包括的な里親支援を行う。
代表 渡邊 守
聞き手:小西敏仁 / 撮影・構成:山本一夫(広報室)
私たちネッツトヨタニューリー北大阪株式会社は1961年の創業以来、 「自分の子供を入れたくなる会社になる」「世代を超えて100年続く」という2つのゴールを掲げ、社員にとって幸せな職場になることを一貫して目指してまいりました。 このコーナーでは従業員を大切に経営されている企業トップにインタビューさせていただき、社員価値の高い企業づくりについて学びます。 真のお客様価値は幸せに働く社員によって生み出される、が私たちの信念です。記事を通して私たちの目指すゴールを多くの方に知って頂ければ幸いです。
ネッツトヨタニューリー北大阪株式会社
代表取締役社長 小西 敏仁

