東宝レオ株式会社
1965年の創業以来、一度も赤字を出すことなく成長を続けてきた東邦レオ株式会社。建築資材から都市緑化、そして街づくりへ。時代の変化とともに事業そのものを変えながら、一貫して守り続けてきたものがあります。それが、創業時に掲げられた「我々は社業を通じて社会に貢献することを第一の生きがいとしよう」という社是です。二代目経営者として会社を率い、2013年には一般財団法人レオ財団を設立した橘俊夫会長。
「会社は大きくしなくていい」「健全な赤字部門を持つべきだ」「会社には解散する自由が必要だ」「成功してからが人生の本番である」。一般的な経営の常識とは、時に真逆にも聞こえる言葉の奥には、一本の思想が通っていました。会社とは何のために存在するのか。お金とは何のためにあるのか。そして、人は何のために働き、生きるのか。橘会長に、その原点からこれからの人生までを伺いました。
「会社は大きくしなくていい」「健全な赤字部門を持つべきだ」「会社には解散する自由が必要だ」「成功してからが人生の本番である」。一般的な経営の常識とは、時に真逆にも聞こえる言葉の奥には、一本の思想が通っていました。会社とは何のために存在するのか。お金とは何のためにあるのか。そして、人は何のために働き、生きるのか。橘会長に、その原点からこれからの人生までを伺いました。
すべてを失った父から受け継いだ「お金」の哲学
──まず、東邦レオ創業の原点から教えていただけますか。
橘:父が会社を創業したのは1965年です。父と母は台湾で終戦を迎え、引き揚げ者として日本に戻ってきました。それまで台湾には家もあり、生活も安定していました。しかし終戦によって、それをすべて失った。文字通りゼロからのスタートです。
日本へ戻ってからは、住むところも、生きていくためのお金もない。そこで父は、お金というものの重みを身をもって知ったのだと思います。だから父には、「借りたものは絶対に返さなければいけない」という非常に強い考え方がありました。
法律上どうなのかではないんです。人から大切なお金を預かったのであれば、人間として返さなければならない。その考え方が、後の会社経営の根底にずっとありました。
日本へ戻ってからは、住むところも、生きていくためのお金もない。そこで父は、お金というものの重みを身をもって知ったのだと思います。だから父には、「借りたものは絶対に返さなければいけない」という非常に強い考え方がありました。
法律上どうなのかではないんです。人から大切なお金を預かったのであれば、人間として返さなければならない。その考え方が、後の会社経営の根底にずっとありました。
──その経験が、東邦レオの財務に対する考え方につながっているのですね。
橘:そうです。父は生命保険の外交員などをしながら懸命に働き、その後、戦後復興で建築資材の需要が伸びると考え、松山の建材会社に入りました。営業マンに車を持たせて機動力を上げるなど、当時としてはかなり新しいこともやって、会社を大きくしていきました。
やがて大阪営業所を任され、社員50人ほどの規模まで成長させました。そこで父は、「これからは商社ではなく、独自の商品を持つメーカーになるべきだ」と経営者に提案します。しかし受け入れられなかった。それなら自分でやろう、と独立したのが東邦パーライト(現在の東邦レオ)です。
ただし、独立するためのお金を銀行から借りようとはしませんでした。自分が働いて得た収入から支出を抑え、貯めたお金を資本金にしたのです。私は子どもの頃、八尾の文化住宅のようなところに住んでいましたが、本当に質素な生活でした。
父から教わったのは、「お金は収入が多いから貯まるのではない。収入と支出に差をつけるから貯まる」ということです。
やがて大阪営業所を任され、社員50人ほどの規模まで成長させました。そこで父は、「これからは商社ではなく、独自の商品を持つメーカーになるべきだ」と経営者に提案します。しかし受け入れられなかった。それなら自分でやろう、と独立したのが東邦パーライト(現在の東邦レオ)です。
ただし、独立するためのお金を銀行から借りようとはしませんでした。自分が働いて得た収入から支出を抑え、貯めたお金を資本金にしたのです。私は子どもの頃、八尾の文化住宅のようなところに住んでいましたが、本当に質素な生活でした。
父から教わったのは、「お金は収入が多いから貯まるのではない。収入と支出に差をつけるから貯まる」ということです。
62年間、一度も赤字を出さない
──創業当初から無借金経営を目指していたのですか。
橘:銀行に頼るという発想が、最初からなかったのだと思います。だから、商品そのものにも独自性が必要でした。
他社と同じものを売っていたら価格競争になります。自分たちにしかない商品をつくり、競争のない環境で商売をする。更に、売掛が当たり前の時代に先払いのシステムをつくり、お客様に認めていただいた。そうすれば、借金ではなく、自己資本で事業を回せます。
創業時は7人でしたが、初年度から利益を出しています。そして現在に至るまで、一度も赤字を出していません。
父には「経営者として赤字を出すのは恥だ」という考え方がありました。赤字になるくらいなら、ビジネスをしない方がいい。それくらい厳しく考えていました。
私はそれが当たり前の環境で育ったので、逆に経営者として資金繰りで苦労した経験がありません。幸か不幸か、私には「お金がないから銀行に借りに行く」という経験がありません。
他社と同じものを売っていたら価格競争になります。自分たちにしかない商品をつくり、競争のない環境で商売をする。更に、売掛が当たり前の時代に先払いのシステムをつくり、お客様に認めていただいた。そうすれば、借金ではなく、自己資本で事業を回せます。
創業時は7人でしたが、初年度から利益を出しています。そして現在に至るまで、一度も赤字を出していません。
父には「経営者として赤字を出すのは恥だ」という考え方がありました。赤字になるくらいなら、ビジネスをしない方がいい。それくらい厳しく考えていました。
私はそれが当たり前の環境で育ったので、逆に経営者として資金繰りで苦労した経験がありません。幸か不幸か、私には「お金がないから銀行に借りに行く」という経験がありません。
「仕事が第一の生きがいになる会社」をつくる
──東邦レオには、経営理念よりも前に「社是」があるそうですね。
橘:父が創業した時につくったものです。「我々は社業を通じて社会に貢献することを第一の生きがいとしよう」60年以上前に、すでに「生きがい」という言葉を使っています。
若い頃の私は、その意味をそこまで深く理解していませんでしたが、今になって、本当にすごいことを言っていたんだなと思います。
人にはいろいろな生きがいがあっていい。スポーツでも、お酒でも、ゴルフでもいい。ただ、人生の中で非常に長い時間を使う「仕事」が第一の生きがいになるような会社をつくれたら、素晴らしいと思わないか。みんなでそんな会社をつくらないか。
父の言葉は、そういう呼びかけだったのではないかと思っています。
若い頃の私は、その意味をそこまで深く理解していませんでしたが、今になって、本当にすごいことを言っていたんだなと思います。
人にはいろいろな生きがいがあっていい。スポーツでも、お酒でも、ゴルフでもいい。ただ、人生の中で非常に長い時間を使う「仕事」が第一の生きがいになるような会社をつくれたら、素晴らしいと思わないか。みんなでそんな会社をつくらないか。
父の言葉は、そういう呼びかけだったのではないかと思っています。
──つまり、利益を上げること自体が会社の目的ではなかった。
橘:そうです。もちろん会社ですから、売上も利益も必要です。しかし、売上や利益を最大化するために会社をつくったわけではない。
働いている社員が、仕事を通じて社会に貢献することに生きがいを感じられる。そのために会社がある。この軸をずらさなかったことが、東邦レオの一番の強みだったと思います。
会社はうまくいき始めると、いつの間にか「もっと売上を」「もっと利益を」と、それ自体が目的になってしまいます。でも、本来何のためにつくった会社なのか。そこを忘れてはいけないと思っています。
働いている社員が、仕事を通じて社会に貢献することに生きがいを感じられる。そのために会社がある。この軸をずらさなかったことが、東邦レオの一番の強みだったと思います。
会社はうまくいき始めると、いつの間にか「もっと売上を」「もっと利益を」と、それ自体が目的になってしまいます。でも、本来何のためにつくった会社なのか。そこを忘れてはいけないと思っています。
「この会社は危ない」入社して気づいたこと
──橘会長ご自身は、最初から会社を継ぐつもりだったのでしょうか。
橘:まったくありませんでした。兄が建築を学んでいましたので、兄が継ぐものだと思っていました。
私は自由に生きていて、大学時代は勉強もほとんどせず、1年ほどかけて世界一周をしています。卒業後は、その経験もあって日本交通公社、現在のJTBに入りました。ところが入社して間もなく父が大病を患った。
親戚から「今まで好きなことをやってきたんだから、こういう時くらい兄と一緒に父親を助けたらどうだ」と言われまして。
「それはそうだな」と思って東邦パーライトに入社しました。経営者になるつもりも、ずっと会社にいるつもりもありませんでした。
私は自由に生きていて、大学時代は勉強もほとんどせず、1年ほどかけて世界一周をしています。卒業後は、その経験もあって日本交通公社、現在のJTBに入りました。ところが入社して間もなく父が大病を患った。
親戚から「今まで好きなことをやってきたんだから、こういう時くらい兄と一緒に父親を助けたらどうだ」と言われまして。
「それはそうだな」と思って東邦パーライトに入社しました。経営者になるつもりも、ずっと会社にいるつもりもありませんでした。
──入社して、会社をどのように感じられましたか。
橘:財務力も商品力も、ものすごく強い会社でした。
ところが同世代の社員に「なぜこの会社にいるの?」と聞くと、答えがほぼ2つしかなかった。
「儲かっていて賞与がいいから」そしてもう一つが、「ほかに行くところがないから」
衝撃でした。会社というのは、良い時ばかりではありません。悪くなったら、この人たちはみんないなくなるのではないか。いくら商品が良くても、お金があっても、未来に希望を持つ社員がいなければ会社は続かない。
会社の未来をつくるのは商品でもお金でもなく、人なのだと、その時に気づきました。
ところが同世代の社員に「なぜこの会社にいるの?」と聞くと、答えがほぼ2つしかなかった。
「儲かっていて賞与がいいから」そしてもう一つが、「ほかに行くところがないから」
衝撃でした。会社というのは、良い時ばかりではありません。悪くなったら、この人たちはみんないなくなるのではないか。いくら商品が良くても、お金があっても、未来に希望を持つ社員がいなければ会社は続かない。
会社の未来をつくるのは商品でもお金でもなく、人なのだと、その時に気づきました。
採用とは「同志を集めること」
──そこから人材育成に取り組まれたのですね。
橘:最初は研修でした。私自身がいろいろな研修へ行き、良いものを社員にも受けてもらいました。ところがうまくいかない。社員からすれば、後から入ってきた社長の息子が突然「研修だ」と言い始めたわけです。
「そんなことをするために入社したんじゃない」と辞める社員まで出ました。父にも「なんでお前はせっかく雇った社員を辞めさせるんだ」と怒られました。そこで気づいたんです。後から人を変えようとするのではなく、最初に「何のためにこの会社で働くのか」を共有して入ってもらうことが大切なのだと。
それで新卒採用を始めました。
「そんなことをするために入社したんじゃない」と辞める社員まで出ました。父にも「なんでお前はせっかく雇った社員を辞めさせるんだ」と怒られました。そこで気づいたんです。後から人を変えようとするのではなく、最初に「何のためにこの会社で働くのか」を共有して入ってもらうことが大切なのだと。
それで新卒採用を始めました。
──採用では、何を一番重視されましたか。
橘:大学名や成績はほとんど見ません。私自身、大学時代に勉強していませんから(笑)。
でも私は、自分で「世界一周する」と目標を決めて、お金を貯め、単位も取って実現しました。それは立派な能力だと思っていた。
ところが就職活動では、そんなことを誰も見てくれません。大学名や成績、適性検査ばかりです。
「人を見るところが違うだろう」と思いました。
本当に大切なのは、自分で目標を設定する力です。そして、それを実行する力です。大学を卒業する頃の能力なんて、長い人生から見れば入口にすぎません。その時点で8点なのか10点なのかより、その後10から100へどう伸びていく人なのかを見る方が、はるかに重要です。
でも私は、自分で「世界一周する」と目標を決めて、お金を貯め、単位も取って実現しました。それは立派な能力だと思っていた。
ところが就職活動では、そんなことを誰も見てくれません。大学名や成績、適性検査ばかりです。
「人を見るところが違うだろう」と思いました。
本当に大切なのは、自分で目標を設定する力です。そして、それを実行する力です。大学を卒業する頃の能力なんて、長い人生から見れば入口にすぎません。その時点で8点なのか10点なのかより、その後10から100へどう伸びていく人なのかを見る方が、はるかに重要です。
──だから経営者自身が採用する。
橘:そうです。採用とは、単に人を雇うことではありません。その人が、将来会社を背負う人になるかもしれない。だったら経営者にとって最も大切な仕事の一つでしょう。
自分の考え方に共感し、一緒にやってくれる同志を集める仕事を、なぜ人事部だけに任せるのか。私はそう考えてきました。だから今でも、私自身が話す会社説明会を続けています。
自分の考え方に共感し、一緒にやってくれる同志を集める仕事を、なぜ人事部だけに任せるのか。私はそう考えてきました。だから今でも、私自身が話す会社説明会を続けています。
儲かっている時に、次の事業へ移る
──東邦レオは建築資材から緑化、街づくりへと事業を変化させてきました。
橘:経営理念に、「我々はその時代の求める独自商品を開発し続けよう」という言葉があります。大切なのは「その時代が求める」というところです。
時代は必ず変わります。一つの商品が売れれば競合が参入し、価格競争になる。問題は、そこで「いつやめるか」です。駄目になってから次へ行くのでは遅い。まだ利益が出ている時に、次のものへ投資する。
東邦レオはそれを繰り返してきました。建築資材から緑化資材へ。資材を提供するだけではなく施工へ。さらに、その空間をどう活用するかへ。この10年間だけでも収益構造は大きく変わっています。
時代は必ず変わります。一つの商品が売れれば競合が参入し、価格競争になる。問題は、そこで「いつやめるか」です。駄目になってから次へ行くのでは遅い。まだ利益が出ている時に、次のものへ投資する。
東邦レオはそれを繰り返してきました。建築資材から緑化資材へ。資材を提供するだけではなく施工へ。さらに、その空間をどう活用するかへ。この10年間だけでも収益構造は大きく変わっています。
──変わり続けること自体が、会社のアイデンティティなのですね。
橘:今ある商品を売り続けるために会社があるわけではありません。時代が求めるものを提供するために会社がある。品だけではなく、「会社のあり方」そのものもそうです。50年前に求められた会社と、これから求められる会社は違うでしょう。
だから自分たち自身も変わらなければいけません。
だから自分たち自身も変わらなければいけません。
社員の「やりたい」に投資する
──新しい事業は、橘会長自身が立ち上げてこられたのでしょうか。
橘:実は、私はゼロから事業をつくるタイプではありません。社員の中から「これをやりたい」という人間が出てきた時に、チャンスを与える。私は社内ベンチャーに対する投資家のような役割でした。
既存事業と新規事業の間には、必ず摩擦が起こります。だから新しいことをやろうとしている社員が、本当に挑戦できる環境をつくり、邪魔されないようにする。それが私の仕事でした。
既存事業と新規事業の間には、必ず摩擦が起こります。だから新しいことをやろうとしている社員が、本当に挑戦できる環境をつくり、邪魔されないようにする。それが私の仕事でした。
──すぐに利益が出ない事業を、どのように評価するのでしょうか
橘:ここは非常に大切です。一般的に業績というと、「今年いくら売って、いくら利益が出たか」だけで判断します。私は、それでは不十分だと思っています。
業績には少なくとも3つある。一つは、今期の売上や利益という「期間業績」。二つ目は、今年は売上にならなかったけれど、未来のために何をつくったのかという「展開力」。そして三つ目が、その1年間で社員がどれだけ成長したかという「社員成長」という観点です。
未来のためには、会社の中に「健全な赤字部門」があるべきです。今年の損益だけを見ればマイナスの部門でも、5年後、10年後の会社をつくっているかもしれない。決算書だけでは、会社の本当の価値は分かりません。
業績には少なくとも3つある。一つは、今期の売上や利益という「期間業績」。二つ目は、今年は売上にならなかったけれど、未来のために何をつくったのかという「展開力」。そして三つ目が、その1年間で社員がどれだけ成長したかという「社員成長」という観点です。
未来のためには、会社の中に「健全な赤字部門」があるべきです。今年の損益だけを見ればマイナスの部門でも、5年後、10年後の会社をつくっているかもしれない。決算書だけでは、会社の本当の価値は分かりません。
──数字に表れない成果を判断するには、社員を相当よく見ていなければできませんね。
橘:だから私は、会社を大きくしすぎてはいけないと思っています。
経営者が会社をきちんと掌握できる規模には限界があります。50人なのか100人なのか。同じ会社なのに、社員同士が名刺交換しないと誰か分からない。そこまで大きくする必要が本当にあるのでしょうか。
「会社は大きい方がいい」というのも、一つの常識にすぎません。私は、世の中の「みんながそうしている」を一度疑ってみることが、とても大事だと思っています。
経営者が会社をきちんと掌握できる規模には限界があります。50人なのか100人なのか。同じ会社なのに、社員同士が名刺交換しないと誰か分からない。そこまで大きくする必要が本当にあるのでしょうか。
「会社は大きい方がいい」というのも、一つの常識にすぎません。私は、世の中の「みんながそうしている」を一度疑ってみることが、とても大事だと思っています。
一番の危機は「優秀な社員が辞め始めたこと」
──これまでの経営で、一番危機を感じたのはいつでしょうか。
橘:会社が倒産しそうになったことはありません。一番危機感を持ったのは、新卒で採用した、志のある社員たちが辞め始めた時です。
業績は悪くありませんでしたが、会社に夢を託して入ってくれた社員が辞めていく。それは、自分が気づいていない何かが会社の中で起きているということです。考えてみると、当時はパーライト業界に参入する会社が現れて、競合との戦いに必死になりすぎていました。
現場から見ると、「どう勝つか」ばかり考えて、そもそも何のために会社があるのかを見失っているように見えたのかもしれません。社員からすれば、「こんなことをするために、この会社に入ったんじゃない」となります。それなら、みんなが誇りを持てる会社とは何なのかを、一緒に考えよう。
そこから始めたのが「ターゲット90」でした。
業績は悪くありませんでしたが、会社に夢を託して入ってくれた社員が辞めていく。それは、自分が気づいていない何かが会社の中で起きているということです。考えてみると、当時はパーライト業界に参入する会社が現れて、競合との戦いに必死になりすぎていました。
現場から見ると、「どう勝つか」ばかり考えて、そもそも何のために会社があるのかを見失っているように見えたのかもしれません。社員からすれば、「こんなことをするために、この会社に入ったんじゃない」となります。それなら、みんなが誇りを持てる会社とは何なのかを、一緒に考えよう。
そこから始めたのが「ターゲット90」でした。
人の意識が変わるだけで、会社は変わる
──「ターゲット90」とは、どんな取り組みだったのでしょうか。
橘:1985年から1990年に向けて、「愛される企業を目指して」という冊子を全社員でつくりました。
社是、経営理念、社員心得。そして、「『さすが』と言われるために、私たちはお客様の立場から発想する問題解決企業になろう」という目標を掲げました。
当時、売上は18億円ほどでした。そこから5年間で36億円を目指そう。さらに2000年には社員150人、売上100億円、利益10億円を実現しよう。
各部門がトップシェアを持ち、「この会社で働いている」と社員が誇れる会社にしよう。
会社から与えられた目標ではなく、自分たちで未来を考えたのです。
社是、経営理念、社員心得。そして、「『さすが』と言われるために、私たちはお客様の立場から発想する問題解決企業になろう」という目標を掲げました。
当時、売上は18億円ほどでした。そこから5年間で36億円を目指そう。さらに2000年には社員150人、売上100億円、利益10億円を実現しよう。
各部門がトップシェアを持ち、「この会社で働いている」と社員が誇れる会社にしよう。
会社から与えられた目標ではなく、自分たちで未来を考えたのです。
──会社はどう変わりましたか。
橘:売上でいうと、18億円から20億円、25億円、31億円、43億円、そして51億円になりました。5年間で約3倍です。
大きく商品が変わったわけではありません。社員数もそれほど変わらない。変わったのは、人の意識です。
人の意識が変わるだけで、会社はこれほど変わる。私自身にとっても、大きな経験でした。
大きく商品が変わったわけではありません。社員数もそれほど変わらない。変わったのは、人の意識です。
人の意識が変わるだけで、会社はこれほど変わる。私自身にとっても、大きな経験でした。
「上場しなかった」ことが、最も良い経営判断だった
──これまでの経営判断の中で、最も良かったと思うものは何でしょうか。
橘:上場しなかったことです。上場していたら、今のようにやりたいことができる会社ではなかったと思います。
会社をつくった人間の思いと、投資家が求めるものは必ずしも同じではありません。私は、会社にとって非常に大切な権利の一つは「解散する権利」だと思っています。
「もう役割を終えた」と思ったら、誰にも迷惑をかけずに会社を閉じられる。それくらい自由な会社が、一番強いのではないでしょうか。
会社をつくった人間の思いと、投資家が求めるものは必ずしも同じではありません。私は、会社にとって非常に大切な権利の一つは「解散する権利」だと思っています。
「もう役割を終えた」と思ったら、誰にも迷惑をかけずに会社を閉じられる。それくらい自由な会社が、一番強いのではないでしょうか。
──会社は「永続すること」が目的ではない、と。
橘:自然を見れば、新しく生まれたものはいずれ朽ちていきます。大木が朽ちるから、その場所に新しい芽が出る。自分の会社だけが永遠に残らなければならないというのは、経営者のエゴではないでしょうか。
世の中から必要とされなくなったのであれば、役割を終えてもいい。会社を存続させること自体が目的になり、既得権を守るために何でもするようになれば、新しいものが生まれません。
「会社は続けなければならない」その常識すら、一度疑ってみる必要があると思っています。
世の中から必要とされなくなったのであれば、役割を終えてもいい。会社を存続させること自体が目的になり、既得権を守るために何でもするようになれば、新しいものが生まれません。
「会社は続けなければならない」その常識すら、一度疑ってみる必要があると思っています。
60歳で「人生の使い方」を変えた
──そこから、どのような経緯でレオ財団を設立されたのでしょうか。
橘:60歳を越えるまでは、私にも「会社を潰してはいけない」という強迫観念のようなものがありました。必死に利益を出すことに時間を使っていました。
でも60歳を過ぎた頃、「このままの延長線上で人生を終えて、自分は満足なのか」と考えたんです。
売上や利益をここから2倍にして、それで本当に嬉しいのか。規模を競うのであれば、もっと大きな会社はいくらでもあります。だったら私は、自分にしかできないことに時間を使いたい。
世の中に足りていないことをやり、「こういう経営のあり方もあるんだ」と示す方が、よほど自分らしいと思いました。
ちょうどその頃、現在の社長である吉川との出会いもありました。創業者の思いを大切にし、社員が誇りと生きがいを持ち、仕事を通じて成長できる会社を残そうとしてくれる。
彼なら任せられると思いました。
でも60歳を過ぎた頃、「このままの延長線上で人生を終えて、自分は満足なのか」と考えたんです。
売上や利益をここから2倍にして、それで本当に嬉しいのか。規模を競うのであれば、もっと大きな会社はいくらでもあります。だったら私は、自分にしかできないことに時間を使いたい。
世の中に足りていないことをやり、「こういう経営のあり方もあるんだ」と示す方が、よほど自分らしいと思いました。
ちょうどその頃、現在の社長である吉川との出会いもありました。創業者の思いを大切にし、社員が誇りと生きがいを持ち、仕事を通じて成長できる会社を残そうとしてくれる。
彼なら任せられると思いました。
──レオ財団には、どのような思いを込められたのでしょうか。
橘:今の社会には、「今さえ良ければいい」「自分さえ良ければいい」「お金さえあれば幸せだ」という価値観が、知らず知らずのうちに広がっているように感じます。みんながその方向へ努力した結果、世の中が本当に良くなったのか。私は疑問を持ちました。だったら逆へ行こう、と。
「今さえ」ではなく、「未来のために」。「自分さえ」ではなく、「社会のために」。「お金さえ」ではなく、「お金を生かして使う」。その考えから2013年に始めたのが、レオ財団です。自分のお金を増やすためではなく、人のために生きようとする人を支援するために使う。それが私の考える「生きたお金の使い方」です。
「今さえ」ではなく、「未来のために」。「自分さえ」ではなく、「社会のために」。「お金さえ」ではなく、「お金を生かして使う」。その考えから2013年に始めたのが、レオ財団です。自分のお金を増やすためではなく、人のために生きようとする人を支援するために使う。それが私の考える「生きたお金の使い方」です。
──会社のお金についても、同じ考え方でしょうか。
橘:もちろん会社には備えが必要です。私が考える経営責任とは、大きな危機が来て会社が無収入になっても3年から5年くらい社員を守れるだけの資金を持っておくことです。
しかし、もっと安心するために1000億円貯めればいいのかというと、私は違うと思います。何があっても絶対に潰れないとなれば、人間は努力しなくなります。
会社も個人も同じです。必要な備えを超えたお金まで抱え込むより、それを社会に還元した方が、社会にとっても会社にとっても良い。
そして「生きたお金の使い方」を考え続けて、最後に行き着いたのが教育でした。
しかし、もっと安心するために1000億円貯めればいいのかというと、私は違うと思います。何があっても絶対に潰れないとなれば、人間は努力しなくなります。
会社も個人も同じです。必要な備えを超えたお金まで抱え込むより、それを社会に還元した方が、社会にとっても会社にとっても良い。
そして「生きたお金の使い方」を考え続けて、最後に行き着いたのが教育でした。
「少欲」から「大欲」へ
──なぜ教育なのでしょうか。
橘:本来の学問は、人間の「少欲」を「大欲」に変えるためにあると思っています。少欲というのは、自分一人の欲を満たすことです。良い学校に入る。良い会社に入る。人より出世する。たくさんお金を稼ぐ。
もちろん、それ自体が悪いわけではありません。
でも、そこだけを教育のゴールにしていたら、社会全体は良くなりません。大欲とは、自分だけではなく、人や社会全体の幸福を考えることです。
経営者も同じです。自社の売上と利益を最大化するだけではなく、「社会そのものをどう良くするのか」という視点を持つ。そういう人を育てるために、お金を使いたいと思っています。
もちろん、それ自体が悪いわけではありません。
でも、そこだけを教育のゴールにしていたら、社会全体は良くなりません。大欲とは、自分だけではなく、人や社会全体の幸福を考えることです。
経営者も同じです。自社の売上と利益を最大化するだけではなく、「社会そのものをどう良くするのか」という視点を持つ。そういう人を育てるために、お金を使いたいと思っています。
──今、レオ財団で取り組もうとしていることは何でしょうか。
橘:これからは「場」をつくりたいと思っています。人が集まって、語り、学び、自分自身や社会について考える。そして、そこで得たものを持って日常へ戻り、また行動を始める。そういう場所です。
昔の寺子屋のように、自然の四季や木の温もりを感じられる環境の中で学ぶ。現在は京都・鞍馬などとのご縁もあり、未来につながる場づくりを考えています。
福田寺というお寺の建て替えや、その周辺で人が集まり学ぶ場をつくる構想も進めています。ビジネスとして儲けるためではありません。これまで事業を通じて得てきたお金や人脈、経験を、社会のために使いたいのです。
昔の寺子屋のように、自然の四季や木の温もりを感じられる環境の中で学ぶ。現在は京都・鞍馬などとのご縁もあり、未来につながる場づくりを考えています。
福田寺というお寺の建て替えや、その周辺で人が集まり学ぶ場をつくる構想も進めています。ビジネスとして儲けるためではありません。これまで事業を通じて得てきたお金や人脈、経験を、社会のために使いたいのです。
人生を変えた3人
──橘会長ご自身の考え方に大きな影響を与えた方はいますか。
橘:3人います。一人目は祖父の池田亀市 です。祖父からは幼い頃から、「人並み外れた努力をして成功しなければいけない。しかし、成功することが目的ではない。成功してからが大事なんだ」と言われていました。
成功した人と失敗した人がいて、成功した人が成功した後も自分のことだけを考えていたら、対立しか生まれない。成功した人間は、弱い立場の人のことまで考え、全体をどう良くするかを考える責任がある。祖父自身が、それを行動で見せてくれました。
二人目は父です。経営学を専門的に学んだわけでもない人間が、実際に会社をつくり、生き方そのもので経営を教えてくれました。
そして三人目が、稲盛和夫さんです。社長になってから出会い、その生き様から多くのことを学ばせていただきました。
この3人の影響は、非常に大きいですね。父と稲盛さんは経営者としての私をつくってくれました。今の私の在り方には、祖父の考えが大きく影響しています。
成功した人と失敗した人がいて、成功した人が成功した後も自分のことだけを考えていたら、対立しか生まれない。成功した人間は、弱い立場の人のことまで考え、全体をどう良くするかを考える責任がある。祖父自身が、それを行動で見せてくれました。
二人目は父です。経営学を専門的に学んだわけでもない人間が、実際に会社をつくり、生き方そのもので経営を教えてくれました。
そして三人目が、稲盛和夫さんです。社長になってから出会い、その生き様から多くのことを学ばせていただきました。
この3人の影響は、非常に大きいですね。父と稲盛さんは経営者としての私をつくってくれました。今の私の在り方には、祖父の考えが大きく影響しています。
人生には「春夏秋冬」がある
──最後に、これからの展望について教えてください。
橘:人生には春夏秋冬があると思っています。私にとって「春」は30歳くらいまででした。いろいろな経験をして、学び、人生の基盤をつくる時期です。
30歳から60歳くらいまでが「夏」。学んだものを使って仕事をし、成果を出し、経済的にも自立していく時期です。
60歳から75歳くらいまでが「秋」。自分が得てきたものを、自分のためだけではなく社会へ返していく時期です。レオ財団の活動は、まさに私にとっての「秋」でした。
そして75歳を過ぎてからが「冬」です。私は、この冬が一番大切だと思っています。
30歳から60歳くらいまでが「夏」。学んだものを使って仕事をし、成果を出し、経済的にも自立していく時期です。
60歳から75歳くらいまでが「秋」。自分が得てきたものを、自分のためだけではなく社会へ返していく時期です。レオ財団の活動は、まさに私にとっての「秋」でした。
そして75歳を過ぎてからが「冬」です。私は、この冬が一番大切だと思っています。
──「冬」は、どのような時期なのでしょう。
橘:もう言葉で「ああしなさい」「こうしなさい」と教えるのではありません。自分の生き方そのものを見せる。それを見た誰かが、「自分もこんな生き方をしたい」と思ってくれたら、それでいい。
一人でも二人でも、そんな人を残して人生を終えられたら最高です。肉体はいずれなくなります。でも、自分の考え方や生き方が誰かの中に残り、その人がまた同じような生き方をしてくれれば、次の世代へつながっていく。
そう考えると、人生は生きている時間だけではないと思うんです。死んだ後まで含めて、その人の人生なのかもしれません。
一人でも二人でも、そんな人を残して人生を終えられたら最高です。肉体はいずれなくなります。でも、自分の考え方や生き方が誰かの中に残り、その人がまた同じような生き方をしてくれれば、次の世代へつながっていく。
そう考えると、人生は生きている時間だけではないと思うんです。死んだ後まで含めて、その人の人生なのかもしれません。
判断の物差しは「得か損か」ではない
──経営と人生において、橘会長が判断する時に大切にしてきた基準はありますか。
橘:人間は毎日、判断を繰り返して生きています。「やる」「やめる」「保留する」判断にはこの3つしかありません。そして判断する時には、必ず自分の中に「物差し」があります。
多くの人が使ってしまう物差しは、「自分にとって得か、損か」です。でも私は、損得だけで判断すると、往々にして間違えると思っています。大切なのは、「人間として、やるべきことなのか」「やるべきではないことなのか」という物差しです。
稲盛和夫さんの言葉で言えば、「動機善なりや、私心なかりしか」です。自分のためだけではなく、全体にとってどうなのか。社会にとってどうなのか。短期ではなく、長い時間軸で見たらどうなのか。
もちろん、私自身がいつも正しい判断をしているとは思っていません。人間に完成形なんてありません。「自分は間違っているかもしれない」という意識を持ちながら、それでも自分に問い続け、判断し続ける。
結局、それを死ぬまで続けていくことが大切なのだと思います。
多くの人が使ってしまう物差しは、「自分にとって得か、損か」です。でも私は、損得だけで判断すると、往々にして間違えると思っています。大切なのは、「人間として、やるべきことなのか」「やるべきではないことなのか」という物差しです。
稲盛和夫さんの言葉で言えば、「動機善なりや、私心なかりしか」です。自分のためだけではなく、全体にとってどうなのか。社会にとってどうなのか。短期ではなく、長い時間軸で見たらどうなのか。
もちろん、私自身がいつも正しい判断をしているとは思っていません。人間に完成形なんてありません。「自分は間違っているかもしれない」という意識を持ちながら、それでも自分に問い続け、判断し続ける。
結局、それを死ぬまで続けていくことが大切なのだと思います。
──本日はありがとうございました。大変多くの学びと宿題をいただいたような気持ちです。長時間のインタビュー、ありがとうございました。
<インタビューを終えて>
今回、橘会長のお話を伺いながら、何度も自分たちの会社について考えさせられました。「会社は何のために存在するのか」「利益は何のために必要なのか」「社員にとって仕事とは何なのか」そして、「経営者は、何を物差しに判断するのか」。
橘会長の経営には、一般的な会社経営の在り方とは逆に見えるものがいくつもあります。会社をむやみに大きくしない。儲かっているうちに次へ進む。「健全な赤字」を認める。必要以上のお金を会社に貯め込まない。そして、会社を存続させることを目的にしない。しかし、その一つひとつを辿っていくと、すべてが創業時の社是、「我々は社業を通じて社会に貢献することを第一の生きがいとしよう」へ戻っていきます。
私たちネッツトヨタニューリー北大阪も、「自分の子供を入れたくなる会社になる」「世代を超えて100年続く」という二つのゴールを掲げています。100年続くことそのものを目的にするのではなく、100年後にも「この会社は社会に必要だ」と言っていただける会社であり続けること。そのために、私たちは何を守り、何を変えていかなければならないのか。
大変多くの学びと、同時にたくさんの宿題をいただいたインタビューとなりました。
聞き手:小西敏仁 / 撮影・構成:山本一夫(広報室)
私たちネッツトヨタニューリー北大阪株式会社は1961年の創業以来、 「自分の子供を入れたくなる会社になる」「世代を超えて100年続く」という2つのゴールを掲げ、社員にとって幸せな職場になることを一貫して目指してまいりました。 このコーナーでは従業員を大切に経営されている企業トップにインタビューさせていただき、社員価値の高い企業づくりについて学びます。 真のお客様価値は幸せに働く社員によって生み出される、が私たちの信念です。記事を通して私たちの目指すゴールを多くの方に知って頂ければ幸いです。
ネッツトヨタニューリー北大阪株式会社
代表取締役社長 小西 敏仁

